鬼の類型

甲州街道訪ね歩き

鬼の類型


 熊本県の阿蘇地方と宮崎県の高千穂地方に伝わる鬼の伝説です。

 鬼八は、天孫族によって殺されたが、何度もよみがえって抵抗し、死後にも霜を降らせて農作物に被害を与えたと言われています。

 鬼八伝説は、阿蘇と高千穂で似ているものの、微妙に異なる話が伝わっています。

(1)阿蘇の鬼八伝説

 鬼八は健磐龍命(たけいわたつのみこと)という神様の家来で、足の速い男でした。健磐龍命が杵島岳から遠くの的石に矢を射ると、鬼八はその矢を拾って持ってきました。

 しかし、最後の矢を拾うときに、鬼八は気が緩んで足の先で矢を健磐龍命に蹴り返しました。健磐龍命は鬼八の非礼に激怒し、高千穂まで追いかけて捕まえました。健磐龍命は鬼八を首と手足を切り離して殺しましたが、鬼八は元の体に戻ってしまいました。

 そこで、健磐龍命は鬼八の胴をばらばらにして埋めましたが、首は天に飛んでしまいました。その後、鬼八の怨念が霜を降らせて、阿蘇では作物ができなくなってしまいました。健磐龍命は天に向かって鬼八の霊に問うと、鬼八は「寒くなると首の傷がひどくなるので、恨みが増すのだ」と答えました。
 健磐龍命は「それでは毎年寒くなるころに火を焚いて温めてやるから降りてこい」と言い、それ以来一人の少女が毎年8月19日に火焚き殿にこもって60日間火を焚くことになりました。

 この火を焚く神事は、鬼八の霊を祀る霜宮神社で今も行われています。健磐龍命は、神武天皇の子である神八井耳命の子(または孫、5世孫、11世孫など)とされる神様で、阿蘇神社のご祭神となっています3。

(2)高千穂の鬼八伝説

 鬼八は鬼であり、高千穂の都を領して民を悩まし、美女を求めて乱行しました。鬼八は二上山に住み、鬼の岩窟という隠れ家を持ちました。鬼八は一尺角で長さ30尺の巨大な石の杖を振り回し、敵を倒しました。鬼八は天孫族によって退治されましたが、誰が退治したかは諸説あります。

 一説によると、神武天皇の兄である三毛入野命(みけいりのみこと)が退治しました。三毛入野命は、記紀では神武東征の際、暴風に遭って常世の国に渡った(=死んだ)ことになっていますが、高千穂の伝説ではここでは死なず、高千穂に戻って鬼八を退治したことになっています。

 三毛入野命は、高千穂神社の二之御殿の主祭神となっています。他の説によると、神武天皇の子である日子波限建命(ひこわけたけのみこと)や、神武天皇の孫である日子波限建王(ひこわけたけのおおきみ)が退治したとも言われています。鬼八は殺されてもよみがえるので、首と胴と手足に分けられて埋められました。
 鬼八の首塚は高千穂町の馬見原にあり、胴塚は五ヶ瀬町の三ケ所にあり、手足塚は高千穂町の久住にあります。
 その後、鬼八の怨霊が霜を吐いて作物を枯らしました。
 人々は怨霊を鎮めるために、首塚と胴塚と手足塚の三つを建てて祀りました。

鬼八の正体については、いくつかの説があります。
一つの説では、鬼八は「霜宮」とされ、霜を司る神とされています。また、鬼八はまたの名を「鬼八法師」「きはちぼし」ともいい、その本名は「走健(はせたける)」とされています。他の説では、鬼八は地元にいる豪族だったとされています。
 ただし、これらの情報はあくまで推測であり、鬼八の正確な正体を確定するものではありません。伝説は地域や時代により異なる解釈が存在するため、その真実は定かではありません。