各地の民話・伝説に見る鬼
観音寺牛鬼伝説(福岡県)
福岡県久留米市田主丸の石垣山観音寺は、673年(白鳳二年)に天武天皇の勅願寺(時の天皇上候の発願により、国家鎮護・皇室繁栄などを祈願して創建された祈願寺のこと)として創建されました。
足代山の牛鬼は、福岡県久留米市の足代山に棲んでいたとされる牛鬼で、牛の頭に鬼の身体を持ち、神通力を使って人や家畜をさらっていたされており、当地には以下のような伝説が伝えられている。
康平5年(1062年)の晩秋、真夜中に観音寺の鐘を突く音がするので、驚いた住職が様子を見に行くと、そこには誰の姿も無かった。
しかし、それからも夜毎に鐘の音が鳴り続け、その後に村の牛馬が煙にように消えた。さらに村の娘や子供まで消えていったので、恐れた村人たちは観音寺の住職を頼ることにした。この住職は比叡山での修行を終えた金光房然廓上人という高僧であった。
金光上人は夜中に鐘を突く者の正体を突き止めようと、宝剣を携えて鐘楼に隠れて夜を待った。やがて夜が更けると、辺りが俄に曇り出し、次第に風が強くなり、雷雨と共に不気味な怪物が現れた。その怪物は、頭は牛で身体が鬼という牛鬼であり、とても恐ろしい姿をしていたので、流石の金光上人も身体の震えを隠せなかった。
そこで金光上人を見つけた牛鬼は、すぐに真っ赤な口を開けて飛びかかってきたが、金光上人はすかさず御経を唱え始めた。すると牛鬼は、金光上人の真言に驚き、逃げようとしましたが、金光上人は追いかけて、牛鬼の角を掴んで引きずり出しました。
牛鬼は、金光上人の力に抗えず、懇願して命乞いをしました。金光上人は、牛鬼に「お前は、人や家畜を殺してきた。お前の罪は重い。お前の命を助けることはできない」と言いました。そして、金光上人は、牛鬼の首を切り落としました。
あくる朝、知らせを聞いた村人たちは牛鬼の首を京へ送り、手は観音寺に保存しました。また、この時に牛鬼の耳を付近の山に納めました。
それからこの山を誰言うことなく「耳納山(みのうやま)」と呼ぶようになったそうです。
この伝説にある通り、牛鬼の手は今でも石垣山観音寺に納められている。その手のミイラは「3本指(親指とその他の指)で、全体的に人に比べて細長く、それぞれの指も非常に長い」といったものになっている。