鬼の類型

甲州街道訪ね歩き

鬼の類型


 明和3年(1776年)の大旱魃の年に、四万十市岡内村(現・香美市)の次郎吉という男が、峯ノ川で牛鬼を目撃しました。次郎吉は、川で魚を獲ろうとしていたところ、水面から牛の頭が現れました。その牛の頭は、人間の言葉を話し、次郎吉に「お前は何をしているのだ」と尋ねました。次郎吉は驚いて逃げようとしましたが、牛鬼は「逃げるな」と言って追いかけてきました。次郎吉は、近くの祠に逃げ込んで助かりました。
 牛鬼は祠の前で「お前は幸運だ。今日は見逃してやるが、二度とこの川に来るな」と言って去っていきました。

 また、ある村で家畜の牛が牛鬼に食い殺され、退治しようとした村人もまた食い殺されていたという話もあります。
 この牛鬼は、頭が牛で胴体が鬼の姿をしており、毒を吐いたり、人を食い殺したりする非常に残忍で獰猛な性格をしていました。村人たちは、牛鬼を退治するために、弓や鉄砲などの武器を持って牛鬼の住処に向かいました。しかし、牛鬼は村人たちの攻撃をはねのけて、次々と村人たちを殺していきました。村人たちは、牛鬼に対抗できる者がいないと嘆きました。

 この話を耳にした近森左近という武士が、弓矢の一撃で牛鬼を退治したという話です。近森左近は、牛鬼の住処に忍び込んで、牛鬼が眠っている隙に、弓で牛鬼の眉間に矢を射ました。
 牛鬼は激しく暴れましたが、矢が深く刺さっていたために、力尽きて死んでしまいました。近森左近は、牛鬼の角を切り取って、村人たちに見せました。村人たちは、近森左近の勇気と技に感謝しました。

 この話は、高知県に伝わる百手祭の由来とされています。
 百手とは、弓のことで、牛鬼を退治した近森左近の弓を称える意味があります。つまり、百手祭とは、牛鬼の退治を祝って、弓を引く真似をする祭りです。
 
 そして百手祭は、その名の通り、百手(1手2本)200本の弓矢を射る御弓始の儀式からきています。
 現在は省略されて8本だけとなっていますが、実際に200本の矢を撃っていたとするならば、相当に大きな「儀式」だったはずです。また、1日がかりだったでしょう。

 この的には「甲・乙・ム(=甲乙なし=争いごとはないようにという意味)」を謎字として組み合わせた「鬼」によく似た字が書かれていて、これを射抜くことで「争いごとがないように」と願う儀式だったようです。

 百手祭は、毎年11月に行われ、近森左近の子孫が祭りの役を務めます。百手祭では、牛鬼の角を模した角杖を持って、弓を引く真似をしながら、牛鬼の退治の様子を歌います。百手祭は、五穀豊穣や無病息災を願う祭りでもあります。
 弓を射終えると、拝殿で先ほど神に捧げた食料をみんなで食べることになる。これを直会(ナオライ)と言います。
 現在は食料だけですが、昔は酒も出ていたらしいです。この食料は「餝飯(ホウハン)」というもので、火の通った普通の「食事」です。火を通した食料を神に捧げるというのは実は珍しいです。これを熟撰(ジュクセン)と言います。