甲州街道訪ね歩き

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 みなさん、「鬼」という言葉を聞くと、どんな姿を思い浮かべるでしょうか。角の生えた赤鬼や青鬼、怖い存在を思い出す方も多いかもしれません。
 しかし、古代中国、そして儒教の世界で語られてきた「鬼」は、今私たちが想像するものとは少し違います。

 もともと「鬼」という漢字には、二つの意味がありました。ひとつは「死者のたましい」、もうひとつは「自然の神々」です。
 その後、「自然の神々」は「神」という字をあてるようになり、「鬼」は主に「死者のたましい」を表すようになりました。ただし、両者は完全に分けられたわけではなく、「鬼神(きじん)」という言葉もよく使われています。

 中国の儒教の経典『論語』には、こんな場面が出てきます。弟子の季路が「神霊に仕えるべきでしょうか」とたずねると、孔子はこう答えます。「人に仕えることすらできないのに、どうして神霊に仕えることができようか。」
 ここでいう「鬼神」とは、亡くなった人、特に先祖のたましいのことです。恐れる対象ではなく、むしろ敬うべき存在として語られています。

 一方で、『春秋左氏伝』という書物には、非業の死を遂げた人の霊が祟りをなした、という記事もあります。ただ、その霊をきちんと祀ることで祟りがおさまったとも記されています。つまり、鬼は恐ろしい面を持ちながらも、人との関わりの中で鎮められる存在でもあったのです。

 また、鬼の姿が「見える」と考える人もいれば、「見えない」とする人もいました。『詩経』には鬼の姿を詠んだ詩が残されていますし、『中庸』にはこんな言葉もあります。「神霊の働きは実に盛大である。姿を見ようとしても見えず、声を聴こうとしても聞こえない。しかし万物を成り立たせる力を持っている。」

 これらは、仏教が伝わる以前の儒教の文献に登場する鬼の姿です。
 鬼は、時に尊い存在であり、時に恐ろしい存在でもありました。人の力では計り知れない、そんな大きな力を持つものとして考えられていたのです。

 さて、一方、日本の鬼は、古くから日本の伝統的な信仰や物語に深く結びついています
 その存在は神道と仏教の影響を受け、さまざまな役割を果たしています。

 まず、神道では、鬼は自然の霊的な力を持つ神の一種と考えられ、山や森、海や川などの自然の場所に住み、その場所の守護神や精霊として崇められていました。
 鬼は神聖な場所や神社で祀られ、自然現象や季節に関連した祭りや儀式が行われました。たとえば、雷や嵐の神として恐れられ、雷鳴や稲妻を「鬼の鉄棒」や「鬼火」と呼んでいました。
 また、春の訪れを告げる神としても祀られ、節分の日には豆まきが行われ、鬼を追い払う風習がありました。

 一方、仏教では、鬼は人間の煩悩や罪の結果として捉えられました。鬼は時に人間に危害を加える存在とされましたが、それは人間が自然に対して敬意を払わなかったり、罪を犯したときに起こるものでした。

 鬼は厳しいが公正な存在として尊敬され、人間が自然と調和することを教える存在と見られていました。仏教寺院では鬼の像や祭壇があり、信者たちは鬼を仏法に従順にし、邪悪な要素と戦うために祈願しました。

 鬼のイメージは地域や時代によって多様であり、中世の能楽では鬼は人間の心の闇や悲しみを象徴する存在として描かれていました。この表現は感情や精神の葛藤を視覚化する手段として用いられ、観客に共感を呼び起こす役割を果たしました。

 昔話においては、鬼が悪者として描かれることが一般的でしたが、一方で鬼を善的な存在として捉える文化も存在します。
 例えば、東京の真源寺では、鬼子母神を崇める信仰が根付いており、鬼は母性や保護の象徴として崇拝されています。また、比叡山延暦寺の伝説では、寺で鬼の像や護符を作ることが行われ、これらのアイテムが信仰の対象とされました。これらの例から見て取れるように、鬼のイメージは宗教的な儀式や信仰においても重要な役割を果たしており、異なる文脈において異なる意味を持つことが理解されます。鬼の多面性は、文化や信仰の多様性を反映しています。

 このように、鬼は日本の文化において様々な側面を持つ存在として展開してきました。邪悪な存在としても、神秘的で力強い存在としても捉えられ、その特徴は地域や時代によって異なります。
 鬼信仰と鬼のイメージの形成には、神道と仏教の融合が大きな影響を与えています。

 さて、この項では、鬼と仏教、鬼と神道、鬼と自然信仰との関りについて深堀します。詳細は、ページ上部のインデックスをクリックしてください。