鬼の類型

甲州街道訪ね歩き

鬼の類型


 この話は、岡山県瀬戸内市牛窓町に伝わる牛鬼伝説の一つです。

 仲哀天皇が熊襲討伐に向かう途上、その進軍を阻止しようと、新羅から送り込まれてきた塵輪なる悪鬼が登場して、大立ち回りを演じたという。
 塵輪とは何とも奇妙な名前ですが、その姿も実に奇抜です。色は赤く、頭が8つもあった上、翼があって自在に飛び交うことができたとか。
 これに対して仲哀天皇は、5万余もの兵を従えて立ち向かうことになります。果敢にも、自ら弓を射てこれを仕留めました。

 この時斬り放たれた頭が鬼島(黄島)に、胴が塵輪島(前島)に、尾が尾島(青島)になったとも。牛窓港沖合に浮かぶ島々です。
 ただしこの戦いのさ中、天皇もまた流れ矢に当たったことがもとで亡くなったことも伝えている。

 天皇崩御に、悲しみ暮れる皇后でしたが、意を決して首謀者である新羅の王子・唐琴(からこと)との戦いに挑んだのでした。
 そして彼女が自ら放った矢が、見事、唐琴に命中。撃退したその場所が、唐琴の瀬戸と呼ばれる海峡だとされています。

 ところが、男装をして三韓征伐に出発した神功皇后が、戦果を挙げたその帰路のこと、成仏しきれなかった塵輪が、今度は巨大な牛鬼に変じて、またもや皇后一行に襲いかかってきました。

 しかも身の丈10丈(約30m)もの大牛となって、船を転覆させようとしたのです。
 この時、突如現れて一行を救ったのが、住吉明神(皇后に神託を下したのもこの神)でした。
 翁の姿となった明神が、牛鬼の角を持って投げ飛ばして退治するのです。その亡骸が落ちたところが骸島(むくろじま/黒島)に、はらわたが百尋岨(ひゃくひろそわえ/百尋礁)になったともいわれています。牛が転(まろ)ぶことが転じて、牛窓と呼ばれるようになったと言い伝えられている。

 牛窓は、日本のエーゲ海と呼ばれるほど、美しい海岸が広がる場所です。
 牛窓神社から海の方へ下りると、牛窓八景の一つで、日本夕日百選に選ばれている天神社があります。ここから見る夕日はとても神秘的です。

 牛窓神社は、神功皇后を祀る神社で、塵輪鬼を退治した伝説の地とされています。
 牛窓神社の近くには、塵輪鬼の武器を隠したという道具部屋と呼ばれる岩があります。この岩の周りの木を切ると災いがあると言われています。

 この伝説は、神功皇后の三韓征伐と塵輪鬼の退治とを結びつけたものであり、歴史的な事実とは異なる部分もあります。

 なお、牛鬼伝説は、山口県下関市にも伝えられています。
 戦いの舞台は、下関市の豊浦宮(忌宮神社)です。
 ここには、塵輪が退治された後に埋めて石を乗せたという「鬼石」なる遺物が残されています。毎年8月7日から13日の夜に催される数方庭祭は、この説話が起源となったもの。
 「鬼石」の周りを高さ20mもの大幟などを持って踊りまわるという、実に奇抜な祭が、今日まで催され続けているのです。