天狗の変遷
天狗の歴史~江戸時代
鼻高天狗の登場
江戸時代になると、天狗のイメージは大きく変化しました。
天狗のイメージは、その時代の社会や文化、信仰の背景を反映したもので、そのイメージは時代とともに変遷し、定着したのは江戸時代以降のことです。
天狗についての記録は7世紀からあるが、そのイメージは時代とともに変遷し、定着したのは江戸時代以降のことです。
天狗の姿が鼻の大きい大天狗とトビの姿をした小天狗という形に定着したのは、四季花鳥図に代表される有名な絵師の狩野元信が夢に出て来た天狗のイメージをもとに描いた「鼻の高い天狗」がそれらに取って代わったからです。
この時代の天狗は鼻の大きい大天狗がトビの姿をした小天狗を率いているイメージでしたが、狩野元信が描いた「鼻の高い天狗」がそれらに取って代わることになりました。
修験道と天狗
また、山にこもって修行する山伏と天狗が同一視されるようになり、やがて山を守る神様に変化し、八大天狗なども誕生しました。
これらの天狗は、それぞれ特定の地域や山に関連付けられており、その地域の信仰や伝説に深く結びついています。
また、これらの天狗は、修験者や山の自然を守る神様として信仰され、その力を借りるための祈祷や儀式が行われていました。
山は本来神聖な場所で、その中で自分を鍛えるため、また普通の人にはない力を得るために修行する人々がいました。
これらの人々は修験道という日本独特の宗教を実践しており、大自然そのものを神とし、その顕現を仏とし、霊山を修行の場として過酷な苦行を行い、超人間的な験力をたくわえて衆生の救済を目指す実践的な宗教といわれています。
修験者は山に伏して修行するところから山伏とも呼ばれます。
天狗と山伏の同一視は、山伏が厳しい修行に耐えた後に人里に降りてきた姿を見て、人々が「天狗が山から下りてきた」と思ったことから始まったと考えられます。
修験者は里の人々の願いをお祈りで叶えたり、病気を治したりしました。
また、修験者は薬草にも詳しかったのです。
ですから天狗のような修験者に助けられた人々は天狗を立派な神様だと思うようになり、だんだん天狗の悪いイメージが忘れられ、良いイメージが残ってきたのだと思います。
そして、やがて天狗は修験者や山の自然を守る神様だと思われるようになりました。
伊藤信博氏の「天狗のイメージ生成について―十二世紀後半までを中心に―」(「言語文化論集」(名古屋大学大学院国際言語文化研究科 2007年刊))によれば、「仏道などの修行より、天狗の妖術の魅力に取り込まれてしまい、仏道からはみ出てしまった修験者を天狗と呼び始めていることが分かる。」ということです。
”修験者でも仏法から道を外すと天狗になる”という天台宗が代表する既成仏教教団の見解を説話にしたものと考えられるようです。
この天狗と修験者の関係について、知切光歳氏は「天狗の研究」(大陸書房 1975年刊)の「天狗と山伏(修験道小史)」で下記のように記しています。
「天狗と山伏との結びつきは、こうし第一級の咒験者の天狗転身と、最下級のあぶれ山伏と町の外法使い達の、天狗的行状の両面が次第に結合して成ったもので、それが世人の声から兆した風潮に山伏側が乗じたものか、あるいは山伏側の声に、世人が乗せられたものかは解明できないが、『今昔物語』などに見える、平安中期頃からの、町の下法使いや、あぶれ山伏たちの行状に、すでにその徴候が見られるところから見て、どちらからともなくそうした天狗の認識が醸成されていったのであろう。」
火防天狗の効果
さらに、江戸時代になると世の中は平和になり、都市の人々が一番恐れるものは火事になりました。
天狗は羽団扇で火を自由に操れるとも思われていましたから人々は天狗を祀って火事を起こさないようにお願いするようになりました。
それで天狗も人々から祀られるようになったのです。
江戸時代になると天狗をめぐる考証も盛んになり、林羅山、新井白石、荻生徂徠といった儒学者から、平田篤胤のような神道学者、松浦静山、曲亭馬琴などの文化人たちが天狗を論じています。
また、天狗による神隠しの逸話や人間にお宝を騙だまし取られる天狗を描いた昔話も数多く残っています。
これらのことから、江戸時代における天狗のイメージは、それ以前と比べて大きく変化し、より具体的な形を持つようになり、また人々の生活に密着した存在となったことがわかります。
しかし一方で、近世の知識人達は「中国古来の天狗」についての知識もしっかりと持っていたようです。
というのも例えば江戸期の滝沢馬琴による『烹雑の記』の「天狗図」には、江戸時代に発展した山伏姿の天狗の他に、『山海経』の首の白い獣や人面鳥身の山の神、獅子の如き猛獣天狗、仙人の一種白鶴童、翼を持つ巨大な山鬼など大陸の文献に見られる天狗に似た異形の者達が描かれています。
また、江戸時代の「怪奇鳥獣図巻」と題された絵巻にも「天狗(てんくう)」の項目がありますが、これは明らかに『山海経』に拠るものと考えられます。形態も首の白い獣のような生き物となっており、詞書きには魔除けとなる、との記載も認められます。
日本独自に発展した天狗とともに中国古来の天狗もしっかりと息づいていたことがうかがえます。
天狗の歴史
古代中国 | 凶事を知らせる彗星や流星 |
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古代日本 | 神秘的な存在 |
平安時代 | 山に住む物の怪 |
南北朝時代 | 仏敵から怨霊へ |
室町時代末期 | 神もしくは神に近い存在 |
江戸時代(山伏との同一視) | 修験道の影響 |
江戸時代(八大天狗の登場) | 各地に伝わる名高い天狗 |
江戸時代(48天狗の登場) | 全国の霊山から天狗を招聘 |
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