天狗の変遷
天狗の歴史~古代中国
天狗という存在は、中国の古代からその歴史を持ち、多様な伝承や信仰によって彩られてきました。
その起源は、凶事を知らせる流星や彗星を指す言葉として始まります。
古代中国では、天狗は天から地上へと災禍をもたらす凶星として恐れられ、その姿はしばしば災いや不幸の前兆とされました。
『漢書』、『晋書』などの中国の古典文献には、天狗に関する記述が見られ、その存在は古代中国社会において広く認知されていました。
また、司馬遷の『史記』や『五雑俎』などの文献では音を発して飛ぶ星を天狗星と称しています。さらに『史記』には、奔星(流星)の墜ちた所には狗の様な生き物が見られると記しています。
この異獣の伝承から流星を「天の狗」と呼んだのだと思われます。
しかし、大陸における天狗も単純な存在とは言えないようです。
例えば、中国の古代地理書で、神話や伝説、怪物の記述が豊富に含まれている『山海経』の中の「西山経」第3巻の章莪山の項には、「獣あり。その状狸(山猫を指すと考えられる)の如く、白い首、名は天狗。その声は榴榴の様。凶をふせぐによろし」という記述が認められます。
この記述は、天狗が狸やアナグマに例えられ、その声が「榴榴」と表現されています。また、「凶をふせぐによろし」という部分は、天狗が災厄を防ぐ存在として描かれていることを示しています。
また、明時代の李時珍『本草綱目』(西暦1596年刊)によれば、天狗は穴熊(かん)の蜀地方での呼び名であると記載されているようです。
一方で、古代中国では、日食や月食は天狗の仕業と考えられていました。
天狗は、前述のように元々中国において凶事を知らせる流星を意味するもので、大気圏に突入し、地表近くまで落下した火球(非常に明るい流星)はしばしば空中で爆発し、大音響を発する。この天体現象を咆哮を上げて天を駆け降りる犬の姿に見立てていました。
すなわち流星現象といえるわけですが、それが「天狗」と言い表されることによって、中国の天狗は羽の生えた「犬」の姿でビジュアル化されたわけです。
この犬の姿をした怪異現象は、明朝の頃から、「天狗食日食月信仰」に姿を変えました。
この信仰では、太陽神と月神が人間の起死回生の薬を盗んだとされ、人々は犬に月と太陽を追いかけさせたとされています。
しかし、月神と太陽神はすでに薬を飲んでいたので、犬が月と太陽を噛んでも噛んでも、月と太陽は死なないとされています。
それでもこの犬は諦めず、常に月と太陽を食うとされ、それが日食、月食が起こる理由とされています。
古代中国では、日食や月食が起こると、人々は銅鑼を叩き爆竹を鳴らして天狗を驚かせて追い払おうとしたと言われています。
これらの現象が起こった際には、天狗が天から火災をもたらす様子が書かれています。
また、天狗の正体については、変わったところでは、天狗を魔性の女の霊とする考え方が認められます。
魔性の女と見る伝承については、子供を攫う異形のもので、名を天狗あるいは偸生(とうせい)と称するとのことで、これは未婚のまま死んだ娘の悪霊と言われ、新生児を彼岸に連れ去ることで代わりに自分が現世へ生まれ出ようとするのだそうです。
この魔物から子供を護るために、狗毛符と呼ぶ毛玉を産着に縫いつけたり、狗圏という銀色の環や帯を付けたりしたと言います。
その後、仏教が中国に伝来すると、天狗は仏教の守護神や魔物としての性格を持つようになりました。
これは、仏教の経論律の三蔵には本来、天狗という言葉はないものの、『正法念處經』巻19には「一切身分光焔騰赫 見此相者皆言憂流迦下 魏言天狗下」とあり、これは古代インドのUlka(漢訳音写:憂流迦)という流星の名を、天狗と翻訳したものです。
また、天狗は仏教の守護神として信仰され、悪しき行いをする者たちを罰する者としても描かれました。
そのため、天狗は善と悪の間に位置する存在として捉えられるようになり、そのイメージは多様化しました。
天狗の歴史
古代中国 | 凶事を知らせる彗星や流星 |
---|---|
古代日本 | 神秘的な存在 |
平安時代 | 山に住む物の怪 |
南北朝時代 | 仏敵から怨霊へ |
室町時代末期 | 神もしくは神に近い存在 |
江戸時代(山伏との同一視) | 修験道の影響 |
江戸時代(八大天狗の登場) | 各地に伝わる名高い天狗 |
江戸時代(48天狗の登場) | 全国の霊山から天狗を招聘 |
現代 | 娯楽的キャラクターに |