天狗の変遷
天狗の歴史~室町時代末期
室町時代末期、日本の伝説上の存在である天狗のイメージは、大きな転換期を迎えました。それまでの天狗は、半人半鳥の姿、すなわち「烏天狗」の形象が一般的でした。
しかし、この時期になると、新たな天狗のイメージが登場します。その特徴は、赤ら顔に長い鼻、一つ歯の高下駄、葉ウチワといったもので、これを「大天狗」または「鼻高天狗」と呼びます。
この新たな天狗のイメージの創始者は、絵師の狩野元信とされています。
彼が描いた「鞍馬大僧正坊図」は、最古の鼻高天狗の図像とされ、京都の鞍馬寺に所蔵されています。
この図像の登場は、天狗のイメージが神秘的な存在から、より人間に近い存在へと変化したことを示しています。
鼻高天狗の特徴的な赤ら顔と長い鼻は、人間の欲望や驕りを象徴しているとも解釈されます。
また、鼻高天狗の姿は、修験者の装束を身につけ、一本歯の高下駄を履き、羽団扇を持って自在に空を飛ぶとされています。
これは、天狗が山岳信仰と習合し、山伏としての姿を持つようになった影響を反映しています。
さらに、鼻高天狗は、その強大な神通力から、神もしくは神に近い存在として認識され、善悪を併せ持った畏敬の対象ともなりました。
このように、室町時代末期の天狗の外見の変化は、天狗の性質や役割、そして人々の天狗に対する認識や理解が変化したことを示しています。
天狗のイメージは、時代とともに変遷し、定着したのは江戸時代以降のことです。
その背景に何があったのか、実はまだよく分かっていないのです。
天狗のイメージは、山に住むとされ、超自然的な力を持つと信じられています。天狗は、山伏や修験者と同一視されることもあり、山や自然を象徴する存在と考えられています。
天狗の伝承は、古くから存在し、日本各地に伝承されています。天狗は、空を飛ぶことができ、自由に山を駆け巡ることができるといわれています。
また、山に住む動物を従えることができ、山賊や盗賊を退治する正義の味方的な役割を果たすことも多いです。
天狗は、しばしば鼻が高く、顔は赤く、眼光鋭い姿で描かれます。
また、天狗は、耳が大きく、羽を持ち、嘴がある姿で描かれることもあります。天狗の容姿は、地域や時代によって異なりますが、どの地域や時代でも、天狗は恐ろしい存在として描かれることが多いです。
天狗は、民衆信仰においても重要な存在です。天狗は、山や自然の象徴とされ、山中で遭難した人を助けてくれる、山火事を起こさないようにしてくれるなど、人々を守ってくれる存在と考えられています。
なお、「鞍馬大僧正坊図」の図像分析により、天狗は初めから鼻高になる要素があったとする意見もあるようです。
というのも、天狗というのは変身術の達人でもあるわけですが、「烏天狗から人身へ」または「人身から烏天狗へ」と変身する過程で鼻高になった事例が散在するためです。
人間の鼻が烏天狗に変化する過程で長い鼻となりやがて嘴となるといった変化、つまり天狗の長い鼻とは嘴の名残であるという見解からきています。
これらの鼻の高い天狗を描いた図は、鞍馬大僧正坊図に先行して存在するため、元信が大天狗の姿を想像するにあたって参考にした可能性があると考える学者もいるのです。
以上のように、「天狗」のイメージは時代とともに大きく変化してきました。
その変化は、社会の変遷や人々の信仰の変化を反映しており、天狗のイメージはその時代の人々の心象や価値観を映し出しています。
それぞれの時代での天狗のイメージは、その時代の人々の生活や信仰、文化を理解する一助となるでしょう。
天狗の歴史
古代中国 | 凶事を知らせる彗星や流星 |
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古代日本 | 神秘的な存在 |
平安時代 | 山に住む物の怪 |
南北朝時代 | 仏敵から怨霊へ |
室町時代末期 | 神もしくは神に近い存在 |
江戸時代(山伏との同一視) | 修験道の影響 |
江戸時代(八大天狗の登場) | 各地に伝わる名高い天狗 |
江戸時代(48天狗の登場) | 全国の霊山から天狗を招聘 |
現代 | 娯楽的キャラクターに |