天狗の変遷
天狗の歴史~南北朝時代
南北朝時代における天狗の変化は、日本の文化と社会の深深な影響を受けています。この時代、天狗は仏敵から怨霊へとその性格を変え、朝廷や公家社会を脅かす存在となりました。
特に政争の敗北者としての性格を持つようになったことは、天狗のイメージに大きな影響を与えました。
平安時代には、仏法を学びながらも慢心してしまった修験者や僧が天狗になるとされていました。
しかし、南北朝から室町時代の動乱の時代になると、大きな力を持ちながらもこの世に無念を抱いて死んだ者が怨霊となり、神通力を備えた大天狗へと変身するという考え方が広まりました。
この変化は、『保元物語』に描かれた崇徳上皇のエピソードを通じて具体的に示されています。
『保元物語』は鎌倉時代の初期に生まれた軍記物語で、平安時代から鎌倉時代への転換をもたらした作品です。
この物語では、乱に敗れた崇徳上皇が生きながら天狗となり、天狗の首領として登場します。
崇徳上皇は、保元元年(1156年)に起こった保元の乱において後白河天皇に敗北し、罪人として讃岐国(現在の香川県)へ下りました。
その後、崇徳上皇は恐ろしい言葉を口にし、指の先を噛み切ると、そこから流れる血をもって誓いの書状を認めました。それからは髪の毛も髭も剃らず、爪も切らず、生きながら天狗の姿になり、1163年8月26日に亡くなったとあります。
このエピソードは、天狗の存在がどのように理解され、そのイメージがどのように変化してきたかを示しています。
平安時代から室町時代にかけて、天狗のイメージは、仏法を学びながらも慢心してしまった修験者や僧から、大きな力を持ちながらもこの世に無念を抱いて死んだ者が怨霊となり、神通力を備えた大天狗へと変わっていきました。
そして、その変化は、崇徳上皇のエピソードを通じて具体的に描かれました。
また、南北朝時代、14世紀以降になると、政治状況の不安定さから、天狗が戦乱の前触れと見なされる考え方が強まりました。これは、中国の天狗が持つ本来の意味に戻ったものとも言えます。
『太平記』には、鎌倉幕府最後の執権であった北条高時の前に天狗が現れ、「天王寺の妖霊星(ようれぼし)を見たい」と騒ぐ場面が描かれています。
妖霊星とは、天下が乱れるときに現れる星で、天王寺周辺で動乱が起こり、やがて鎌倉幕府が滅ぶことを暗示しています。
天狗と怪しい星が結びつけられることも、中国の天狗の伝承に立ち返っていると言えます。当時、不思議な現象が起こると、ほとんどが天狗の仕業と解釈されました。
この時代の日本では、天狗は妖怪の代表的存在でした。
このように、南北朝時代の天狗は、社会の変動とともにその性格を変え、人々の恐怖と尊敬の対象となりました。
仏敵から怨霊へと変化した天狗は、その強大な力と神秘性で、人々の心を揺さぶり続けました。そして、その存在は、政争の敗北者としての性格を持つことで、社会の矛盾と闘争を象徴する存在となりました。
天狗の歴史
古代中国 | 凶事を知らせる彗星や流星 |
---|---|
古代日本 | 神秘的な存在 |
平安時代 | 山に住む物の怪 |
南北朝時代 | 仏敵から怨霊へ |
室町時代末期 | 神もしくは神に近い存在 |
江戸時代(山伏との同一視) | 修験道の影響 |
江戸時代(八大天狗の登場) | 各地に伝わる名高い天狗 |
江戸時代(48天狗の登場) | 全国の霊山から天狗を招聘 |
現代 | 娯楽的キャラクターに |