天狗の正体
山岳信仰習合説
平安時代に再び登場したとき、天狗は山の妖怪と化し、人々に語り継がれるようになりました。
その姿は山伏の装束を身にまとい、顔が赤く、鼻が高く、翼があり、自由自在に飛び回ることができるとされています。
日本の奈良時代から始まった山岳信仰と天狗の信仰は、深い関連性を持っています。
この信仰体系は、役小角という修験者によって始められました。
役小角は、吉野の金峯山で祈り、蔵王権現が出現したと伝えられています。
役小角はその姿を像に彫り、金峯山の本尊としました。
以来、金峯山は修験者の修行すべき重要な霊山となりました。
山岳信仰では、山での厳しい修行を通じて人々が自然と一体化し、神秘的な力を得ると考えられていました。
この修行は、自然との一体感を通じて、人間の精神を浄化し、神秘的な力を得ることを目指していました。
山伏は、この修行を通じて名利を得ようとする傲慢で我見の強い者とされ、死後には天狗に転生するとされました。
天狗は、深山に棲み、神通力を持ってさまざまな怪異をもたらすとされています。
この考え方は、「天狗道」と呼ばれ、魔界の一種として解釈されました。
天狗道は、堕落した者が落ちるという魔界とされています。
一方、民間では、平地民が山地を異界として畏怖し、そこで起きる怪異な現象を天狗の仕業と呼びました。
天狗は、慢心の権化とされ、鼻が高いのはその象徴とも考えられます。これから転じて「天狗になる」と言えば自慢が高じている様を表すようになりました。
また、天狗は、愛宕権現信仰や秋葉権現信仰などの火伏せの神への信仰と結びついて、火事を防ぐ神様として祀られるようになりました。
特に、武家の戦いがなくなった平和な時代において、庶民が最も恐れたのは火事でした。そのようななかで天狗は、民間信仰と結びついてより庶民に身近な存在になっていきました。
さらに、天狗は山岳信仰の神々の一つとして、風水や気象現象、また山岳修行などに関する領域を統括しています。
そのため、天狗の信仰は、民間の仏教と、古代から続く山岳信仰に結びついたもので、極めて豊富な天狗についての伝説は山岳信仰の深さを物語るものであると言えます。
このように、山岳信仰と天狗の信仰は、人間の精神的な成長と自己啓発、そして人間の欲望とその結果についての教訓を提供する独特の信仰体系を形成しています。
これらの信仰は、人間の精神世界と自然世界との深いつながりを示しており、その教えは今日でも多くの人々に影響を与えています。