天狗の変遷
天狗の歴史~平安時代
天狗についての記録は、一時期途絶えていましたが、平安時代になると、「天狗すだま」「天狗こだま」と呼ばれる、山に棲む一種の物の怪として再登場します。
この時期、日本の天狗は、中国の天狗が保有していた天空を飛ぶ得体のしれないもの、天と地を繋ぐ大きな音を発する怪物、異変をもたらす異形の存在といった性質に山の神霊(山岳信仰)という要素が加えられるという形で作られたものなのでしょう。
これにより天狗は山伏を中心とする天狗の信仰と、民間の仏教と、山岳信仰と習合したのです。
極めて豊富な天狗についての伝説は山岳信仰の深さを物語るものです。
山伏は名利を得んとする傲慢で我見の強い者とされ、死後に転生し、魔界の一種として天狗道が一部に想定されて解釈されました。
これは、山伏の中でも、特に名声や利益を追い求める傲慢な者が天狗になると考えられていたようです。
12世紀中ごろに成立した仏教説話集『今昔物語』は、日本の伝統的な妖怪である天狗の描写において重要な役割を果たしました。
それまで目に見えない存在とされていた天狗に、具体的な形状が与えられ、カラスのような頭部と空を飛ぶ羽根を持つ「カラス天狗」が誕生しました。
この時期の天狗は、仏法、つまり仏教の教えに対立する存在とされていました。
つまり仏教に敵対する存在である夜叉飛天やら天魔波旬(はじゅん)を指して天狗と称したのです。
天狗の姿のうち、空中を飛行する翼は飛行夜叉に因むともいいます。
本来は少しずつ異なる存在であった夜叉や天魔、天狗が同一視されたわけです。
仏道を妨げるこの種の天狗は、『今昔物語』(保安元年(西暦1120年)以降、保元の乱(西暦1156年)以前に成立)に収められた説話や、それを元にした「是害坊絵巻」(鎌倉期以降)では、しばしば「鳶」のような姿で描写されます。
おそらくこれが僧侶の修行を邪魔する天狗の典型的な姿だと思われます。
特に『今昔物語』では、天狗は比叡山の僧侶によって撃退される形で度々登場します。
比叡山は日本の仏教の中心地の一つで、その僧侶たちは高い修行を積んだ者たちでした。
天狗が仏法に対立する存在とされた背景には、仏教の観点から見た天狗の性質が関係しています。
仏教では、仏道修行を誤って傲慢に陥った者が天狗道に落ちるとされていました。
このような観念が、天狗が仏法に対立する存在として描かれる基盤を形成しました。
また、『宇津保物語』という平安時代の中頃に書かれたとされる長編物語にも天狗が登場します。
この物語は、それ以前に書かれた『竹取物語』の不思議なストーリー性の性格を受け継いだ、日本最古の長編物語とされています。
以上のように、平安時代の天狗は、山岳信仰と習合し、山伏を中心とする信仰の対象となり、その姿や性格は時代とともに変化しました。
その変化は、社会の変遷や人々の信仰の変化を反映しており、天狗のイメージはその時代の人々の心象や価値観を映し出しています。
それぞれの時代での天狗のイメージは、その時代の人々の生活や信仰、文化を理解する一助となるでしょう。
天狗の歴史
古代中国 | 凶事を知らせる彗星や流星 |
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古代日本 | 神秘的な存在 |
平安時代 | 山に住む物の怪 |
南北朝時代 | 仏敵から怨霊へ |
室町時代末期 | 神もしくは神に近い存在 |
江戸時代(山伏との同一視) | 修験道の影響 |
江戸時代(八大天狗の登場) | 各地に伝わる名高い天狗 |
江戸時代(48天狗の登場) | 全国の霊山から天狗を招聘 |
現代 | 娯楽的キャラクターに |