天狗の影響
天狗と芸術
天狗は日本の文化に深く根ざした存在で、文学や芸術に多大な影響を与えてきました。
天狗は口承伝承や民間文芸で数多く語られる主人公であり、その存在は、「鬼」に負けず劣らず、日本の美術、文学、演劇、音楽、武術など、多岐にわたる芸術形式に深く根ざしており、そのイメージや性格は、それぞれの芸術形式に独自の解釈と創造性をもたらしています。
天狗は、その多様性と変容性を持つことで、日本の芸術に対して豊かな表現の可能性を提供し、その発展に大きく寄与してきたと言えるでしょう。
天狗は、真っ赤な顔と長い鼻が特徴的であり、山伏の服装をしており、高下駄を履き、手には団扇を持ち、背中に翼があるため空を飛ぶことができます。このような特徴から、天狗は文学や芸術の中で頻繁に描かれています。
それにしても天狗のイメージは時代や社会の変遷にともなって変わり、平安時代からその存在が知られてきました。中世には天狗と山が、近世では天狗と修験者が結びつくなど、そのイメージは多様化してきました。
しかし、天狗の起源は中国で、古代中国では凶事(不吉なこと・良くないこと)を知らせる「流れ星」を意味するものだったそうです。
流れ星は隕石が大気圏に突入するときに観測できますが、地表近くまで落下すると空中で爆発して大きな音が響きます。その時の音が犬の咆哮(ほうこう・たけりほえること)に聞こえ、隕石が輝きながら落ちていく様子が、犬が天を駆け降りるように見えたことから「天の狗」つまり「天狗」の語源となったのだそうです。
また、月食も天狗の仕業だと考えられていました。当時はなぜ月食が起こるのかがわかっておらず、説明がつかない現象だったため「天の狗が月を食べている」と考え、不吉なものとされていました。流れ星や月食のように不吉と考えられていたことと天狗が結びつき、天狗に悪いイメージが定着したようです。
さて、『日本書紀』には、天狗が最初に記述されています。
この記述では、天狗は流星として表現され、舒明天皇9年(637年)の記事に「都の空を巨大な星が雷のような轟音を立てながら東から西へと飛び、人々が騒ぐと、唐から帰国した学僧の旻(みん)という人が、これは流星ではなく天狗というもので、天狗の吠える声が雷に似ている」と話したということが記されています。
十世紀以降、平安中期の『宇津保物語』や『源氏物語』では、天狗は神通力を使う超自然的な存在として描かれ、災厄をもたらす存在として登場します。『源氏物語』では、天狗は人をだまして連れ去る、すなわち「神隠し」を起こす妖怪として登場します。
『保元物語』や、その後に書かれた『源平盛衰記』には、日本三大怨霊と呼ばれる崇徳院が天狗になるというお話が書かれています。
また、江戸時代に作られたとされる『天狗経』は、日本全国に四十八種類の天狗が存在すると記しており、その総計は十二万五千五百であるとされています。
天狗の描写は時代や文献により異なりますが、その存在は日本の伝説や神話に深く根ざしています。天狗は、神秘的な力を持つ存在として、また、人間の世界と神々の世界をつなぐ存在として、人々に語り継がれてきました。
天狗と芸術
天狗と文学 | 日本の文学に与える影響 |
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天狗と絵画 | その独特の姿は絵画にも |
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