古文書に見る鬼の類型
雨月物語
18世紀、江戸時代中期に書かれた怪談小説集『雨月物語』。この作品には、9話の怪談・奇談が収録されており、それぞれに、性格の異なる鬼、妖怪、幽霊が登場し、今も読む人を怪しい世界へいざないます。
9話の時代設定はまちまちで、古いものは平安時代、新しいものでは江戸時代の話もある。
また、主人公も、崇徳院 (しゅとくいん)・西行 (さいぎょう)・豊臣秀次 (とよとみひでつぐ) らの歴史上の著名な人物から、武士・学者・農民・僧・商人・神主の娘・網元の息子、さらには蛇神や黄金の精霊に至るまで多種多様であり、内容的にも、復讐譚あり恋愛譚あり、また変身譚や食人鬼の話などもあり、変化に富んでいる。
それにしても、いつの世も過ぎた情念は、鬼を呼ぶ。
青頭巾
快庵禅師が旅の途中、下野の国の里で宿を探していると、人々が皆「鬼が出た」と言って逃げて行ってしまいます。ようやく宿の主人と話をすることができた快庵禅師は、恐ろしい話を聞くことになります。
近くの山にある寺に阿闍梨という徳の高い僧侶がいましたが、一人の稚児を寵愛するようになり、修行もおろそかになっていきました。ところが、今年の春、その稚児が病で死んでしまいます。阿闍梨の悲しみようは尋常ではなく、稚児の遺体を埋葬することもせず、生きていた時と同じように可愛がりました。
しかし、遺体はやがて腐敗してきます。阿闍梨は肉が腐っていくのさえ惜しんで、その肉をすすり、骨をなめて、やがて食べつくしてしまったのです。やがて阿闍梨は夜な夜な墓を暴いて歯肉を食べる「鬼」と化してしまったのです。
この話を聞いた快庵禅師は、彼を人の道に戻す決意をします。その夜、件の山寺に向かうと、寺はすっかり荒れ果てていました。現れた阿闍梨に一晩の宿を頼むと、やせ細った僧が弱々しく現れ、「好きになさるがよい」と言って寝室にこもってしまいました。
ところが真夜中、阿闍梨は鬼のように暴れだします。快庵禅師が「もしひもじいのであれば私の肉で腹を満たしてください」と言うと、阿闍梨は餓鬼となってしまった自分を恥じ、「かく浅ましき悪業を頓にわするべきことわりを教へ給へ」(「このように浅ましい悪行をすぐに忘れられる方法を教えてください」)と頼みます。快庵禅師は自分がかぶっていた青頭巾を阿闍梨にかぶせ、2つの句を教えました。
「江月照し松風吹く 永夜清宵何の所為ぞ」と読むこの句の真意がわかれば、仏の心に出会える、と伝えて快庵禅師は旅立ちます。
1年後、快庵禅師が再び下野の国を訪れると、さらに荒れ果てた寺がそこにありました。寺の中には、あの阿闍梨がいて2つの句をつぶやいています。快庵禅僧が阿闍梨の頭を叩くと、その姿は氷が朝日に溶けるように消えてゆき、後にはあの青頭巾だけが残されました。
吉備津の釜
正太郎という、酒と女遊びの好きな男がいました、家族は何とか身持ちを固めさせようと、磯良という娘と結婚させることにしました。磯良の両親もこの話に賛成します。
そこで、磯良の両親は結婚の前に、「御釜祓い」を行いました。この占いでは、釜でお湯が沸きあがったとき、吉兆ならば牛が吼えるような音が鳴り響き、凶兆ならば音が出ないといわれています。
ところが、占ってみると、釜からは何の音も出ませんでした。不安に思う両親でしたが、磯良が結婚を楽しみにしていることもあり、「たまたま音が出なかっただけだろう」と縁談を進めてしまいます。
磯良は夫によく仕え、正太郎も磯良を気に入り、結婚生活はうまくいくかに思われました。
しかし、庄太郎の浮気性は治りませんでした。いつの間にか袖という名の遊女と恋仲になり、家にも戻らないようになってしまったのです。
磯良のことを気の毒に思った正太郎の両親は、正太郎を家の中に閉じ込めます。磯良は再びかいがいしく正太郎の世話をしましたが、正太郎はそんな磯良をだまして家を抜け出し、袖と駆け落ちします。磯良は嘆き悲しみ、ついには寝込んでしまいました。
一方、袖と正太郎は、袖のいとこである彦六の助けもあって初めは仲睦まじく暮らしていました。しかし、しだいに袖の様子がおかしくなってきたのです。まるで、なにか物の怪にでも憑かれたような袖の様子に、正太郎は「磯良の呪いでは……」と怯えます。正太郎の看病もむなしく、七日後に袖は死んでしまいました。
正太郎は毎日袖の墓に参る日が続きました。ある日、いつものように墓参りに行くと、若い女がいます。話を聞くと、仕えている家の主人が亡くなり、奥様があまりに悲しんで病に臥せっているので、自分が代わりに墓参りをしている、といいます。正太郎はその奥様に興味を持ちました。そして女の案内で彼女に会いに行くことになります。
女に連れられて小さな茅葺の家につくと、そこで待っていたのは磯良でした。「つらき報いの程しらせまゐらせん」(「どれほど辛かったか思い知らせてやろう」)という磯良の恐ろしさに、正太郎は気絶してしまいました。
気が付くと、そこは荒野の三昧堂(僧侶が修行する場所)でした。慌てて家に帰った正太郎は、陰陽師に助けを求めます。陰陽師は正太郎の体に呪文を書き、今から42日間物忌みをして、絶対に外に出てはいけない、と言い聞かせました。正太郎は磯良の霊に怯えながら閉じこもります。
そして42日後、彦六は夜が明けたのを見て、正太郎に外に出てくるように呼びかけます。ところが、部屋の中から正太郎の叫び声が聞こえてきます。何があったのかと彦六が外に出てみると、空はまだ暗いままで、正太郎はどこにもいません。明かりをつけてみると、軒先に男の髪の毛だけがぶら下がっていました。
吉備津の釜の占いも陰陽師の予言も間違っていなかったのです。
正太郎が磯良に憑り殺されるというシーンは、中国の怪異小説集『剪灯新話(せんとうしんわ)』に集録されている小説「牡丹燈記」をモチーフにしているようです。それらをヒントに三遊亭圓朝によって創作された怪談噺が「牡丹燈篭」です。
「雨月物語」の「青頭巾」に登場する鬼となった僧侶、あるいは、「吉備津の釜」に登場する鬼女(幽霊)となった妻磯良は、人間の欲望と恐怖、そして罪と罰を象徴しています。この物語は、人間の心の闇と向き合うことの重要性を問いかけています。
物語の中で、「青頭巾」の僧侶は自身の欲望によって鬼に変わり、その結果、彼は自分自身と向き合うことを余儀なくされます。これは、人間が自分の欲望に取り憑かれると、自己を見失い、鬼と化す可能性があることを示しています。
また、この物語は罪と罰のテーマも探求しています。主人公が罪を犯した結果、彼は鬼と化し、その罰を受けることになります。これは、行動には必ず結果が伴い、罪を犯せば罰を受けるという因果の法則を示しています。
さらに、「青頭巾」の鬼は、人間の恐怖を具現化しています。人間は未知や異なるものを恐れ、それを鬼として表現します。しかし、この物語は、鬼は外部の存在ではなく、人間自身の内面に根ざしていることを示しています。