鬼の類型

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鬼の類型


 『九鬼文書』は、古史古伝の一つで、古代出雲王朝の正統性を主張する偽書とされています。九鬼家の遠祖である天児屋根命(アルアメノコヤネノミコト)の時代に記録された神代文字の原文を、藤原不比等が漢字に書き改めたもので、九鬼氏が保管したとされています。
 九鬼文書は元々神世文字で書かれていた古文書で、九鬼家が代々所有しています。
 「九鬼」くきと書いてクカミと読む古文書ですが、九鬼のカミは元々「鬼」の漢字の上の角部分が無いカミという漢字を使用していました。しかし一般の活字にはあまり見られないことから便宜上「鬼」という漢字を当てていたため「九鬼」くきという名前で一般化していったという経緯があるようです。

 この古文書を代々所有している九鬼家は、初代の隆真氏(たかざね)という人物が1336年後醍醐天皇の時代、天皇が幕府軍に追われ笠置山から逃げる際に、三種の神器を警護して幕府側の追っ手と戦い、その戦いぶりが「カミの如し」とされたことと代々縁のある九という字を付けて「九カミ」の姓を後醍醐天皇から賜わったとあります。 

 九鬼文書は初代の隆真氏や代に加筆された人物の出来事や系図類、神道関係の文献などを残されており、九鬼家の研究者は武道の九鬼神流から独立した高松寿嗣などが掲げています。
 九鬼文書では宇宙造化から現代までの歴史を7期に分けて記載しています。
 第一期が造化準備時代で創造神モトツワタラセノオホカミが登場し、23世23,000年続きます。
 次に第二期の造化時代、アマツミヒカリからアメノミナカヌシまで1世24代が13世続き、合計312代で5万年程続きます。
 鬼に関しては、九鬼家の祖先である天児屋根命やその子孫が鬼として描かれたり、鬼の面をかぶって戦ったりする話などがあります。

 また、九鬼文書の中には、九鬼家の祖先である天児屋根命やその子孫が鬼として描かれた話があります。
 例えば、「天津蹈鞴秘文遍」の中には、天児屋根命が天津神の中でも最も強力な神であり、鬼の王として君臨していたという記述があります。

 また、「九鬼宝鏡秘伝」の中には、天児屋根命の子孫である大中臣牟知麿が鬼の面をかぶって戦ったという記述があります。これらの話は、九鬼家が天津神の血を引くことを誇りとし、鬼を自分たちの象徴として用いたことを示しています。鬼は、九鬼家の神聖さや勇猛さを表すものとして用いられています。

 また、九鬼文書の中には、鬼の面をかぶって戦った話があります。
 例えば、「九鬼築城之巻」の中には、九鬼家の祖先である藤原不比等が鬼の面をかぶって敵を威嚇したという記述があります。
 また、「九鬼剣法秘想遍」の中には、九鬼家の祖先である藤原鎌足が鬼の面をかぶって敵を斬ったという記述があります。これらの話は、九鬼家が鬼の面をかぶることで、自分たちの戦闘力や戦略を強調したことを示しています。
 鬼は、九鬼家の武士の威厳や威力を表すものとして用いられています。