天狗の変遷
文献に現れる天狗(保元物語)
「保元物語」は、鎌倉時代初期に成立した物語で、保元の乱(1156年)を描いたものです。この物語には、日本三大怨霊とも呼ばれる崇徳院が天狗になるという話が書かれています。
崇徳院は、保元元年に起こった保元の乱において後白河天皇に敗北し、罪人として讃岐国(現在の香川県)へ流されました。
その後、崇徳院は経文に血で呪文を記し、生きながら天狗となったとされています。
崇徳院は、父の鳥羽上皇から疎まれ、不遇の時を過ごしました。
伝説では、崇徳院は鳥羽上皇の子ではなく、待賢門院と白河院との子であったとされています。
このような背景から、崇徳院は異母弟である後白河天皇と対立し、保元の乱を起こしました。
しかし、崇徳院は敗北し、讃岐に流されました。
その後、自らが写した経典を都へ帰して欲しいと願い、大乗経を都へ送りました。しかし、後白河方によってこれが突き返されてしまいました。
それもそのはず、崇徳院は五部大乗経を血書で写経していたのです。
崇徳院は絶望し、髪も爪も切らず、生きながら凄まじい姿へと変貌しました。
そして、「日本国の大魔縁となり、皇を取って民となし、民を皇となさん」と誓い、舌を噛み切り、その血を用いて大乗経に呪詛の誓文を記しました。
崇徳院が生きながら天狗の姿になったとされている理由は、彼自身の困難な運命と、その結果としての強い怒りと恨みによるものでした。
崇徳院の死後、京都では大火事や事件などが相次いで起こりました。
これらの出来事は崇徳院の怨霊による祟りだという噂が広まりました。そのため、後白河院や平清盛は崇徳院の霊を鎮めるために、崇徳院に「崇徳院」の名を贈り、慰霊のための寺を建立し、陵へ参拝するなどの行為を行いました。
以上のように、「保元物語」における天狗は、崇徳院という特異な人物が生きながら天狗となったという形で描かれています。
この物語は、天狗が人間の世界に深く関与し、人間の運命を左右する存在として描かれています。また、崇徳院の悲劇的な生涯とその怨念が、天狗という存在の神秘性と恐ろしさを一層引き立てています。
天狗の文献
日本書紀 | 天狗の概念が文献に登場 |
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宇津保物語 | はるかな山に住む天狗 |
今昔物語集 | 仏教説話に登場 |
太平記 | 政治の表舞台に登場 |
是害坊絵巻 | 比叡山の僧と法力比べ |
源氏物語 | 人間の世界に干渉 |
保元物語 | 日本三大怨霊の登場 |
遠野物語 | 山の怪の代表格 |