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神か妖怪か 天狗の総合研究Produced by 高尾通信

天狗の変遷


文献に現れる天狗(日本書紀)

 「九年春二月丙辰朔戊寅、大星従東流西。便有音似雷。時人曰、流星之音。亦曰、地雷。
 於是、僧旻僧曰、非流星。是天狗也。其吠声似雷耳」
(九年の春二月(きさらぎ)の丙辰(ひのえたつ)の朔戊寅(つちのえのとらのひ)に大きなる星、東(ひむがし)より西に流る。便(すなわ)ち音有りて雷に似たり。時の人の曰はく、「流星の音なり」といふ。亦は曰く、「地雷(つちのいかづち)なり」といふ。是に僧旻僧(みんほうし)が曰はく、「流星に非ず。是天狗なり。其の吠ゆる声雷音に似たるのみ」と)

 『日本書紀』に記されたエピソードは、日本で「天狗」の概念が初めて文献に登場した例とされています。
 この時代の「天狗」は、現在の天狗のイメージとは異なり、流れ星を指していました。
 このエピソードが起こったのは、舒明天皇9年(637年)の9月で、都の空を巨大な流れ星が東から西へと横切り、雷のような轟音を立てていました。
 人々はその音の正体について議論していましたが、唐から帰国した学僧の旻(みん/びん)が、「これは流星ではなく天狗(あまつきつね)である。天狗の吠える声が雷に似ているだけだ」と説明しました。

 この「天狗」の概念は、古代中国の思想から影響を受けています。
 古代中国では、流れ星は「天狗(てんこう)」と呼ばれ、災厄の前兆とされていました。流れ星は隕石が大気圏に突入するときに観測できますが、地表近くまで落下すると空中で爆発して大きな音が響きます。その時の音が犬の咆哮(ほうこう・たけりほえること)に聞こえ、隕石が輝きながら落ちていく様子が、犬が天を駆け降りるように見えたことから「天の狗」つまり「天狗」の語源となったのだと考えられています。

 しかし、この「天狗=流れ星」の概念は日本では定着せず、その後の文献には流れ星を天狗と呼ぶ記録は見られません。
 そして、舒明天皇の時代から平安時代中期の長きにわたり、天狗の文字はいかなる書物にも登場してこないのです。
 そして平安時代に再び登場した天狗は山の妖怪と化し、語られるようになりました。

 『日本書紀』は全30巻、系図1巻(系図は現存しない)からなり、天地開闢から始まる神代から持統天皇代までを扱う編年体の歴史書です。神代を扱う1巻、2巻を除き、原則的に日本の歴代天皇の系譜・事績を記述しています。
 全体は漢文で記されていますが、万葉仮名を用いて128首の和歌が記載されており、また特定の語意について訓注によって日本語(和語)で読むことが指定されている箇所があります。

『日本書紀』は、もともと天武天皇が、自らの権力の継承が正当であること、自分の称号として定めた「天皇」が、雄略朝の時期から続く由緒あるものであることを国内外に誇示するために、編纂されたのです。

 なお、この記事の前の舒明天皇七年には彗星の記事が、同八年には日蝕や飢饉の記事があり、さらにこの記事の後、同九年の三月には日蝕の記事と蝦夷の反乱の記事が記されています。
 これは天狗が日蝕や彗星の出現と同様に、不吉な出来事の予兆と見られていた、あるいは天文の異常が地上の災厄をもたらすと考えられていたことをうかがわせるものとなっています。

 このように、『日本書紀』に記載された「天狗」の記述は、その時代の社会や文化、信仰の背景を反映したものと考えられます。
 このエピソードは、天狗の概念がどのように日本に伝わり、その意味がどのように変化してきたかを理解する上で非常に重要です。

天狗の文献

日本書紀 天狗の概念が文献に登場
宇津保物語 はるかな山に住む天狗
今昔物語集 仏教説話に登場
太平記 政治の表舞台に登場
是害坊絵巻 比叡山の僧と法力比べ
源氏物語 人間の世界に干渉
保元物語 日本三大怨霊の登場
遠野物語 山の怪の代表格

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