日野にかかわる新選組ゆかりの人々を紹介します。
新撰組の副長を務めた幕末の幕臣、「鬼の副長」と呼ばれ、剣豪揃いの隊士たちを統率した土方歳三は、天保6年(1835年)5月5日に武蔵国多摩郡石田村に誕生した。歳三が生まれた時には土方家がすでに長い間石田散薬を作っており、石田散薬の行商をすることもありました。
源三郎は、天然理心流二代目宗家(八王子戸吹の道場)の近藤三助方昌が八王子千人同心だった為、近藤周助から剣術を習っておりました。源三郎は稽古に励み、12年の歳月を要して万延元年(1860)に免許皆伝を得ています。
井上松五郎は、武蔵国多摩郡日野宿北原に八王子千人同心井上藤左衛門の次男として生まれ、天保15年(1844年)に22歳で家督を継ぎます。弟は新選組六番隊長の井上源三郎。また、次男の井上泰助も新選組隊士です。
井上泰助は、安政4年12月5日(1858年1月19日)八王子千人同心の井上松五郎の次男として生まれます。叔父は井上源三郎。 泰助が京都に到着したのは、慶応3年11月3日のことでした。
日野の宿場を中心に、東光寺、四谷、万願寺、谷戸等を含めて日野本郷と称する三千石の管理にあたっていたのが、代々日野宿の名主を務めていた佐藤家です。佐藤彦五郎は、父の早逝のため、天保8年(1837)11才で名主役を相続した。生来克己心が強く、義侠心に富んでいたので村人から敬慕されていた。妻のぶは、土方歳三の実姉にあたる。
慶応3年(1867)春、歳三は所要があって、京より東下し、日野に帰り佐藤彦五郎宅に来泊します。この時、歳三は、17歳の源之助(土方歳三の甥)が披露する十二段撃ち方やら乱打などの操銃方に感激し、源之助を上京させ、隊士など教授方を勤めさせたいと言い出します。
馬場兵助は天然理心流の門人で、日野の佐藤道場で稽古していました。日野八坂神社に奉納した天然理心流扁額にも名を載せています。馬場兵助は、は文久3年(1863) 試衛館メンバーとともに14代将軍家茂上洛警護浪士組募集に応じ、上洛している。
天然理心流の近藤周介に入門し天然理心流の剣術修行します。土方歳三や井上源三郎とも同門として親交を深め、文久3年(1863)馬場兵助、井上源三郎などと一緒に14代将軍家茂上洛警護浪士組募集に応じ、浪士組に参加し、上洛する。
八王子千人頭河野仲次郎の組頭日野嘉蔵義貴(ひのかぞうよしたか)」の長男として、天保10年(1839)6月13日に生まれました。18歳のときから戸吹村(八王子市)の松崎和多五郎の道場で天然理心流を修行します。
日野は新選組副長の土方歳三や六番隊隊長の井上源三郎の出身地であり、子孫の方々が開館する資料館や数多くの史跡が残っています。これらを訪ね歩き新選組の波乱の歴史に思いを馳せます。
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