八王子城の歴史
八王子城は、北条氏康の三男である北条氏照が築城した城で、関東地方の西部に位置する軍事的な拠点でした。築城の時期は特定されていませんが、天正10年(1582年)から天正15年(1587年)の間に築城が開始されたとされています。
氏照は当初、大石氏の滝山城を居城としていましたが、小田原攻撃に向かう甲斐の武田信玄に攻められ、その際、滝山城の防衛の限界を感じ、織田信長の築城した安土城を参考に石垣で固めた八王子城構築を行い本拠を滝山城から移転しました。
八王子城は、関東平野の西端で八王子城山・富士見台山塊がせり出した突端の深沢山(標高460m)を利用して築かれた戦国時代の代表的な山城です。城全体があまりに広大であったため、落城時には未完成であったという説もあります。
天正18年(1590年)に豊臣秀吉の関東制圧の一環として、前田利家・上杉景勝軍に侵攻され、八王子城は落城しました。この八王子城の落城が決め手となり、籠城を続けていた小田原城は開城し、北条氏は滅亡しました。
八王子城跡は現在、国の史跡として指定されており、発掘調査や整備も進み、御主殿跡付近の石垣、虎口、曳橋などが復元されています。また、八王子城跡は日本城郭協会より「日本100名城」に選定されています。
それでは、悲劇の名城、八王子城の歴史を構築前夜から紐解いてみましょう。
本サイトの記述は、以下の参考文献を活用しています。
「決戦!八王子城―直江兼続の見た名城の最期と北条氏照」 (揺籃社ブックレット 6)
「八王子城―みる・きく・あるく」 (揺籃社ブックレット 4)
「乱世!八王子城」 揺籃社 山岩淳
「発掘された八王子城」 八王子市郷土資料館 八王子市教育委員会
「巨大山城八王子城精密ル-トマップ 戦国浪漫 2016年版」揺籃社 堀籠隆
「戦国の終わりを告げた城 : 八王子城を探る」六興 椚国男
「八王子城今昔物語絵図」 揺籃社 前川実