八王子城近隣の支城など
多摩丘陵を望む小高い山の上に築かれた、関東屈指の巨大山城である「八王子城」。
八王子市は城址の都市といわれるように、城址を探るのには非常に効率的な都市であるかもしれません。
八王子市内をめぐる七つの丘は、関東山地の東に連なっており、いわば波状型の丘陵には、鎌倉時代末期から室町時代、戦国時代そして江戸と続く中で次々と城が築かれていくことになります。
なかでも、八王子城は、北条氏照の築城で、鉄砲伝来を契機として、石垣を用いた初期の遺構であり、小田原北条氏の要衝として関東に知られた有数の名城です。深沢山(城山)を中心に、北に滝沢川・浅川、南に城山川・南浅川とに挟まれた広大な城域を持ち、地形だけでなく、搦め手に当たる北に浄福寺城・小田野城、南に初沢城などの支城が配され、一大要塞と云える中世城郭です。
小田原北条氏は、関東を支配していく上で各地に数多くの城を築き、兵力を整え、大砲などの武器を調達していました。なかでもも小田原城は自然の地形を活かし、山と海に守られた難攻不落の平山城であり、かの武田や上杉も攻めきれませんでした。
しかし、平山で規模が大きいと必ず守りに際して脆弱な部分がでてきます。
そこでこれを補強すべく数多くの支城(しじょう)、出城を街道沿いや国境の見通しのよい山や丘に建てていくことになります。
北条は100を越える出城を築いたとも言われています。
つまり、八王子城には、小田原城の支城として北側を守る、つまり、北国の武田や上杉の脅威から防御のための城であったと考えられます。
しかし時代は、すでに武田や上杉よりも豊臣との戦いを意識したものになり替わってきていたのです。