鬼の正体は死者の霊や怨霊
鬼という漢字は、もともと死体の象形文字で、鬼が死者の供養や祭祀に関係していることに基づいています。鬼は人間が死んだ後に鬼になるという考え方があります。
また、死者の霊や怨霊が鬼として描かれることがあります。これは、死者の霊や怨霊が人に祟りをなすという信仰や、死者の霊や怨霊が人の怨念や執念、恐怖や憧れの象徴として物語に織り込まれたことによります。
また、鬼は祖霊や神と結びつけられることもありました。しかし、鬼は恐ろしいものや邪気のものとしても捉えられ、鬼を鎮める儀式や鬼を退治する物語が生まれました。例えば、餓えた死者の魂を「餓鬼」、死者の魂が泣き喚くことを「鬼哭」といいます。
また、人の怨恨や憤怒によって鬼に変身するという変身譚系の鬼もあります。例えば、平家物語に登場する平家の亡霊や、能楽に登場する土蜘蛛などがこれにあたります。
死者の霊や怨霊が人に祟りをなすという信仰は、古代から日本に存在していました。死者の霊や怨霊は、生前に受けた不幸や不正、恨みや恨まれ、愛情や憎しみなどの感情が死後も消えずに残り、人間の世界に干渉して災厄や病気をもたらすと考えられていました。
死者の霊や怨霊は、死者の遺骸の周りや死者に縁あるものの近くにあるとされ、機会があればほかの生き物に生き移って、違う形で甦ることもあるとされていました。
死者の霊や怨霊は、死者の魂としての「鬼」の原義に近いものであり、姿形のないものとされていました。しかし、仏教が日本に伝来した際に、仏教経典に描かれた鬼の図像が、中国やインドの異国人や異民族の特徴を反映していたため、死者の霊や怨霊も角や牙や赤い肌などの鬼の特徴を持つようになりました。死者の霊や怨霊が鬼として描かれることで、死者の霊や怨霊の恐ろしさや危険さが強調されたと言えます。
死者の霊や怨霊が人の怨念や執念、恐怖や憧れの象徴として物語に織り込まれたことは、平安時代から中世にかけての説話に見られます。
多くの鬼は、怨霊の化身、人を食べる恐ろしい怪物であるとされています。例えば、京都北西の大江山には酒呑童子と呼ばれる鬼の親分が本拠地を構え、茨木童子を始めとする多くの子分を統率していたといい、その描写は赤毛で角があり、髭も髪も眉毛もつながっており、手足は熊の手のようで、京の町からさらってきた若い女性の肉を常食していたという。
また、伊勢物語には、夜女をつれて逃げる途中に鬼に女を一口で食べられる話があり、ここから危難にあうことを「鬼一口」と呼ぶようになるが、これは、戦乱・災害・飢饉などの社会不安の中で頻出する人死にや行方不明を「異界がこの世に現出する現象」と解釈したものであり、人の体が消えていくことのリアルな実演であり、この世に現れた鬼が演じてしまうものと推測されます。
一方、鬼は必ずしも悪者ではありません。鬼は人間の怨念や執念、恐怖や憧れの象徴として物語に織り込まれており、鬼にも人間的な感情や苦悩があると考えられる場合もあります。例えば、一寸法師や瘤取り爺さんの鬼は、人に福を残して去る神として描かれています。また、鬼は仏教においても重要な役割を果たします。鬼は罪人を責め立てることで、自業自得の教えを伝えたり、鬼自身も仏になる方法を探したりします4。
以上のように、日本では、死者の霊や怨霊が鬼として描かれることがあります。
これは、死者の霊や怨霊が人に祟りをなすという信仰や、死者の霊や怨霊が人の怨念や執念、恐怖や憧れの象徴として物語に織り込まれたことによります。
死者の霊や怨霊としての鬼は、死者の魂としての「鬼」の原義に近いものから、仏教経典や異民族の影響を受けた鬼の特徴を持つものまで、様々な姿や性格を持っています。死者の霊や怨霊としての鬼は、人間の世界とは異なる、恐ろしく危険な存在としてイメージされていることが多いですが、必ずしも悪い存在ではないことも忘れてはなりません。