甲州街道訪ね歩き

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鬼の変遷


 古代日本では、「鬼」(おに)という言葉が、邪悪な存在や神秘的なものを指す言葉として広く使われていました。この言葉は、古代の日本神話でも神や妖精としての鬼の存在が確認されています。

鬼の語源

 「鬼」の漢字は、死体の風化した姿を表しており、死者の霊や邪気の象徴とされていました。この説によれば、古代日本人は鬼を死後の世界や超自然的な領域と結びつけ、死者の霊魂が「鬼」として具現化されると信じていた可能性があります。この視点では、鬼は死者の魂が現れた存在として理解されていたと考えられます。
 
 別の説では、「隠(おぬ)」という言葉が転じて「鬼」となったとされています。隠は目に見えないものや得体の知れないものを指し、古代日本人にとって鬼はそのような存在だったと考えられます。この視点では、鬼は人々にとって理解し難い、脅威的で神秘的な存在として捉えられていた可能性があります。

 また、別の説では、「陰(おん)」という言葉が転じて「鬼」となったとされています。陰は陰陽思想における暗くて冷たい側のものを指す言葉で、鬼は邪気の象徴として陰に属するとされていました。この説によれば、鬼は負のエネルギーや邪悪な力を象徴し、陰陽のバランスを崩す存在として恐れられていた可能性があります。

 これらの説は単なる仮説であり、鬼の語源についてはっきりとした答えがあるわけではありません。しかし、これらの説を通して、鬼が日本の歴史や文化においてどのように捉えられ、解釈されてきたかが垣間見えます。鬼は単なる妖怪や怪物ではなく、死者や超自然な力と深く結びついた象徴的な存在として、日本の民間信仰や伝承において重要な役割を果たしてきたことがうかがえます。

鬼の姿

 鬼の姿についても、古代日本の鬼は一つ目や角、牙や爪などの特徴を持っていました。
 また、鬼は鬼門(北東)から出入りし、深夜2時から4時の丑寅に活動するとされています。
 鬼は丑寅に関連しており、ウシの角やトラの牙、トラ皮の衣装を持つ姿で描かれました。

 仏教では、鬼は地獄の獄卒や餓鬼などの苦しみにある存在として描かれ、その姿は恐ろしく醜いものとされています。
 これらの特徴は、中国から伝わった仏教の影響を受けたものと考えられます。
 仏教や修験道などでは、悪鬼や悪魔は、人間を外から疫病や災害や社会構造などで害するもの(外魔)と内から欲望や精神や信仰心などを操作して害するもの(内魔)とに大別できるとされています。

 このように、鬼の姿や特徴は、文化や宗教の影響を大いに受けて形成されてきたと言えます。仏教では、鬼は地獄の獄卒や餓鬼などの苦しみにある存在として描かれ、その姿は恐ろしく醜いものとされていました。

鬼の性質

 古代日本の鬼は、死者の霊や祖霊、地霊などの神聖な存在として崇められる場合もあれば、人間に危害を加える恐ろしい存在として恐れられる場合もありました。
 そして古代日本の鬼は、悪・善・神などさまざまな性質を持っていました。

 悪としての鬼は人間に危害を加えたり、人を食べたりする存在として恐れられました。

 例えば、大江山に住む酒呑童子や、羅生門に現れた茨木童子が有名です。酒呑童子と茨木童子の話は、平安時代の京都を舞台にした伝説です。
 酒呑童子は、美男子であったが、恋文に仕込まれた毒によって鬼に変わってしまいました。
 茨木童子は、酒呑童子の舎弟であり、美少年であったが、母親が隠した恋文の血をなめて鬼に変わってしまいました。
 二人は大江山に住み、京都に現れては貴族の子女をさらったり、暴れまわったりしました。
 しかし、帝の命を受けた源頼光と四天王によって鬼の一味は討伐されました。
 茨木童子だけは逃げおおせましたが、後に渡辺綱と戦って腕を切り落とされました。
 茨木童子は腕を取り返しに渡辺綱の屋敷に現れましたが、安倍晴明の護符によって入れませんでした。
 茨木童子は渡辺綱の伯母に化けて入ろうとしましたが、見破られて腕を奪って逃げました。
 その後の茨木童子の消息は不明です。

 善としての鬼は人間に助けを与えたり、幸せをもたらしたりする存在として尊ばれていました。
 善としての鬼は、日本の古代から伝わる民間信仰や神話において、多く見られます。

 鬼は、もともと死者の霊を指し、祖霊や神と結びつけられることもありました。鬼は、人間の禍福を支配する存在として、恐れられるだけでなく、敬われたり親しまれたりもしました。
 例えば、桃太郎が鬼ヶ島で退治した鬼たちは、桃太郎に従って人間に福をもたらすようになりました。桃太郎伝説は、古代の吉備国(現在の岡山県)に伝わる温羅(うら)伝説が元となっています。温羅とは百済(くだら)の王子で、吉備へとやってきて一帯を支配した一大勢力の首領でした。
 身丈は1丈4尺(約 4.2メートル )もあったというから、相当な巨漢でした。
 温羅は、人々に厳しい支配を行いましたが、その一方で、農業や水利などの発展にも貢献しました。温羅は、桃太郎によって討伐されましたが、その後は桃太郎に従って人々に福をもたらすようになったと言われています。

 神としての鬼は祖霊や地霊などの神聖な存在として崇められました。
 鬼という言葉は、もともと死体を意味する漢字で、人は死んだら鬼になると考えられていました。
 人の死去を「鬼籍に入る」というのはその表れです。
 死者の霊は、祖先の霊や神として崇められることもありました。例えば、鬼が神として祀られている「鬼神社」は全国に4つあります。青森県弘前市の「鬼神社」、埼玉県嵐山町の「鬼鎮神社」、大分市の天満社境内の「鬼神社」、福岡県添田町にある玉屋神社境内の「鬼神社」です。
 これらの鬼神社では、鬼は人々の生活に恵みをもたらす神として崇められています。また、岩木山には鬼神が祀られ、鬼の善行に感謝する祭りが行われていました。

 鬼は、恐ろしいもの、力強いもの、超人的なものの象徴とされています。人に危害を加えたり、人を食べたりするなど「悪」の存在であることが多いのですが、人を助けたり幸せをもたらしたりする「善」や、崇められる「神」など、多様な捉え方があります。
 これは、鬼には超人的な能力があり、人間の禍福を支配する存在だと捉えるようになったからです。超人的なものに対するおそれや憧れから、鬼は多種多様な描かれ方をするようになりました。

 古代日本において、鬼は人間の世界とは異なる、恐ろしいや危険な存在として描かれ、古代日本人の死や異界に対する恐怖や憧れ、自然や社会に対する畏敬や反抗などの感情を反映していました。
 古代日本の鬼は、多様な性質やイメージを持っており、一様に定義することは難しいと言えます。鬼は、古代日本の文化や思想に深く関わる存在であったと言えるでしょう。