大月の鬼にかかわる史跡の数々



鬼の立石

 大月桃太郎伝説では、以下のくだりがあります。

立石「途中、犬目で犬を鳥沢で雉子を猿橋で猿を家来にし、きび団子を食べて元気をつけ大声で「岩殿山の赤鬼よ、これから桃太郎が貴様を退治に行くぞ」と叫んだら、昼寝をしていた鬼は目を覚まし、大いに怒って手にした石杖を二つに折り、声のした方へ投げつけた。左手だったが、地響きをたてて突き刺さり大きな石が動くほど揺れた。ここを今「石動」と呼んでおり、石の杖を「鬼の杖」と呼んでいる。やがて西の方へまわった桃太郎が「赤鬼めー、覚悟しろー」と叫ぶと鬼は物凄い唸り声をあげて右手に持っていた石杖を桃太郎の方へ投げつけた。今度は勢い余ってびゅーんと桃太郎の頭上を飛び越して笹子の白野と原の境に突き刺さった。これを今でも「鬼の立石」と呼んでいます。」

 一方、郡内の民話では

 むかし、大月市の岩殿山に赤鬼がすんでいた。赤鬼はものすごく大きくて、力持ちで、いつも両手に石の杖を持っていた。
 桂川をへだてた向かい側に、菊花山という山があり、その裏に九鬼山があるが、そこには仲間の青鬼がすんでいるので、遊びに行くときには石の杖を菊花山に立てて、棒高跳びのようにして、いっぺんに九鬼山まで行ってしまった。

 ある日、九鬼山から青鬼が遊びにやってきた。鬼の話というのは、きまって人を喰う話か力自慢の話である。その日も力自慢の話になった。
 岩殿の赤鬼は「おれの持っているこの石杖を天高くどこまで投げられるかやってみよう」と、持ちかけた。「よしやってみよう」ということで、力比べが始まった。天高く投げ合ったため、落ちる響きは雷のごとく、その震動は地震のようであった。

 力自慢するだけあって、勝負はなかなかつかなかった。勝負をつけようにも空へあげるので、高さを測ることができなかった。お互いに「おれの方が高かった」と、けんかになった。そこで今度は、石杖を地中にどこまで深く突きさせれるか比べることにした。

 岩殿山の赤鬼は右手の石杖を横に置くと、左手に持っていた細い方の杖を両手でむんずと掴み揮身の力をこめて地中に突きさした。すると、石杖は手元までズブりと堅い岩山を突きやぷってささった。そのすきに九鬼山の青鬼は、岩殿の鬼の右の石杖を高く持ち上げ、西の方笹子峠に向けて投げてしまった。

 岩殿の赤鬼はおこって、左の杖を地中から抜こうとしたが、あまりに深くさしたため、抜くことができなかった。双方素手でとっくみ合いの死闘となり、揚げ句の果てに双方死んでしまった。

 いま大月市の石動団地のある岩殿山から一キロばかり東の石動というところに地中深く突きささった石がありますが、これが赤鬼の左杖で、引き抜こうとしたときの力でへこんだ指のあとが、はっきりと残っているとのこと。右の杖は笹子町の立野の原、JR中央線の線路脇にあってこれが「鬼の立石」と呼ばれている石です。

内藤恭義(平成3年)「郡内の民話」