桃太郎の起源
桃太郎伝説の起源
『桃太郎』は、明治20年(1887年)以降、当時の小学生用教科書「尋常小學讀本」に採用され、子供達の間で知られるようになります。
その後、芥川龍之介や楠山正雄、尾崎紅葉といった著名人も『桃太郎』をもとに創作をしました。また、鬼退治へ行く様子を描いた童謡「桃太郎」(作曲:岡野貞一、作詞:不詳)はご存じの方も多いでしょう。
しかし、岡山発祥説が昭和に「創造されたもの(!?)」だとすると、結局、桃太郎物語は、いったいいつ、どこで生まれたことになるのでしょうか。
これについてはさまざまな研究があるのですが、物語としての成立年代は正確には分かっていません。
しかしながら起源については、室町時代末期までに口承の昔話として原型が成立したと考えられています。
口承伝記が、文書化されたのは江戸時代に入ってからで、江戸時代なかばには赤本・黄表紙などによって広く流布し、その後は草双紙(絵入りの娯楽本)などの読み物として定着していきました。
現存最古の文献は享保8年の『もゝ太郎』とされています。なお、明治時代には国定教科書に載ったため、さらに広まったといわれています。
古事記に求める桃太郎の起源
しかし、そもそも『桃太郎』が口承の物語であるとすれば、成立した時代・作者といった詳細はわかるはずもなく、由来は諸説あるようです。
しかし、最近の研究によれば、起源は「古事記」のある「イザナギ・イザナミ伝説」ではないかというのが有力な説の1つとなっているようです。
「古事記」は成立712年とされる、天皇の歴史が分かりやすくまとめられた歴史書。日本列島を作ったとされるのがイザナギとその妻イザナミだとされ、イザナギと別名は孝霊天皇とされています。 そのイザナミが亡くなり、イザナミを追いかけて黄泉の国へと行ったイザナギでしたが、そこで腐りはてたイザナミの様子を目の当たりにしたイザナギは固まってしまい、思わず逃げ出してしまったのでした。それを見たイザナミは怒り、鬼と化け女たちに、後を追せます。イザナギは、近くにあった桃の実を鬼たちに投げつけ、イザナミ達を追い払ったのです。
こうして、鬼退治には桃という構図が出来上がったようなのです。
そんなイザナギ(孝霊天皇)の子供の1人がスサノヲであり、またの名を、吉備津彦命(きびつひこのみこと)といいました。
この人物こそが桃太郎のモデルにもなったのではないかと考えられている人物なのです。この話が、岡山の桃太郎発祥説につながるのです。
桃太郎の発祥地はどこか
しかし、「発祥地はどこか」という問題になると、明確に答えるのは非常に難しいのです。
岡山から東北まで全国各地で話の細部を微妙に変えながら、民話としてさまざまに語り伝えられているからです。
様々な地域で同じような伝説が語られており、どこが発祥かははっきりとは判明していません。
とはいえ、発祥の候補地として有力なものとなると、ある程度限られてきます。
そのひとつで、近年にわかに注目を集めているのが、山梨県の大月なのです。