天狗と言うと、山伏姿のイメージの強い人が多いのではないでしょうか。
日本の歴史を見ると、山伏は天狗と同一視されることが多く、「天狗山伏」という言葉も、「太平記」以降の史書で見られるようになります。
では、なぜ山伏は天狗と同一視されるようになったのでしょうか。
山は、本来神聖な場所でした。そのように神聖で恐ろしい山の中で自分を鍛えるため、また普通の人にはない力を得るために修行する人達がいました。
修験道とは、日本古来の山岳信仰が仏教などの影響のもとに習合された日本独特の宗教です。
それは大自然そのものを神とし、その顕現を仏とし、霊山を修行の場として過酷な苦行を行い、 超人間的な験力をたくわえて衆生の救済を目指す実践的な宗教といわれています。
修行得験とか実修実験とか表現されるように、深山幽谷に分け入って、命がけの修行をし、霊力、験力を開発する道と言えます。
修験道は自ら修して、自らその験しを得るところに真髄があるのです。修するとは、役行者の教えの道を修するのであり、験しを得るとは、単 に験力 や神仏の加護を獲得するではなく、究極は自らの心の高まり(菩提心)を得ることに他なりません。
修験者は山に伏して修行するところから山伏とも呼ばれます。修験道は一宗一派に片寄らず、行動し体験する中で以心伝心のうちに本来の悟りを開く方法=道です。
修験道を実践する者を山伏や修験者と言い、験力(霊力)を磨くために修行します。
修行方法は多岐に渡りますが、火渡りや滝打ちといったものは、他の宗教とはまったく印象の異なるものでしょう。
身に着けている山伏十二道具(法螺・頭襟・斑蓋・結袈裟・鈴懸・錫杖・金剛杖・最多角(いらたか)念珠・笈(おい)・肩箱・引敷・脚半)は、それぞれ仏の教えの象徴物として意味づけされているため、俗世にいる人は違和感を覚えるかも知れません。
しかも、このような修行が人里離れた山で密かに行われているとしたら、事情を知らない人々は気味悪く思ったかも知れません。
彼らが厳しい修行に耐えた後に人里に降りてきた姿をみて人々は「天狗が山から下りてきた」と思ったことでしょう。
修験道の修行は厳しいため、それを乗り越えて偉大な修験者となった者も大勢いたかと思われます
修験者は里の人達の願いをお祈りで叶(かな)えたり、病気を治したりしました。ちゃんと修行を積んだ人のお祈りには効き目があったのです。
また、修験者は薬草にも詳しかったのです。ですから天狗のような修験者に助けられた人達は天狗を立派な神様だと思うようになり、だんだん天狗の悪いイメージが忘れられ、良いイメージが残ってきたのだと思います。
一方で、途中でリタイアしてしまい里に下りて拝み屋や祈祷師のようなものになった者もいたでしょう。
それでも食べていけない者は、山で鍛えた体力を使って良からぬことを働いていたかも知れません。
神のように高い徳を持った修験者/怪しい祈祷で食いつなぐ修験者崩れ、という図式は、天狗における善神/仏教の敵対者という両義性に通じるものがあるように思えます。
そのようにして、やがて天狗は修験者や山の自然を守る神様だと思われるようになりました。この修験者達が修行した山は全国にあります。
ですから天狗の伝説も全国にあります。また修験道の山では善悪両面をもつ天狗を奥院にまつり,大魔王尊と呼ぶところがある。
とくに有名なの は京都北山の鞍馬山で,天狗の絶大な除魔招福の霊力を,恐怖とともに信仰祈願する者が絶えない。
この天狗の別称は大僧正で,大魔王尊は僧正谷にまつられて いる。牛若丸に武技を授けた天狗としても人口に膾炙(かいしや)しているが,大僧正の名称は上級山伏を大僧(だいそう)と呼ぶところからきているであろう。
天狗トピックス
天狗は日本の伝説や物語に頻繁に登場します。
『保元物語』や『源平盛衰記』:日本三大怨霊と呼ばれる崇徳院が天狗になるというお話が書かれています。
『今昔物語集』:空を駆け、人に憑く「鷹」と呼ばれる魔物や、顔は天狗、体は人間で、一対の羽を持つ魔物など、これらの天狗の説話が多く記載されています。
民話:天狗が登場する昔話も多く存在します。例えば、「瘤とり爺」、「天狗」、「極楽を見たという話」、「こぶとり爺さん」、「籾とおしと天狗さま」、「天狗さまの鼻はなぜ赤い」、「ばくち打ちと天狗」、「天狗の隠れみの」、「一畚山」、「米倉小盲」などがあります。
鞍馬天狗と牛若丸:鞍馬天狗は牛若丸(後の源義経)の師匠として知られています。
これらの物語や伝説は、天狗の神秘的な力やその性格を描き出しています。天狗はしばしば高慢な人間を戒め、また時には人間を助ける存在として描かれています。