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天狗の建てた寺〜天狗参上

天狗伝説concept



天狗の建てた寺

 

 和歌山県中部に位置する由良(ゆら)町。ここにある臨済宗・興国寺は、鎌倉幕府三代将軍「源実朝」の菩提を弔うために家臣の「葛山五郎景倫(願性)」が建立した真言宗の西方寺に、願性と親しかった「覚心(法燈国師)」が住職となり、同寺の宗旨を禅宗に改めたことが由来とされています。

 また、法燈国師が宋からその製法を伝えたとされる「金山寺味噌」を作った寺で、その製造課程でできた上澄み液が今の「たまりしょうゆ」になったといわれています。
 また、覚心は帰国の時に、虚無僧4人を伴い、日本各地に普化尺八を天狗が建てた寺伝えたことから、現在でも普化尺八を継ぐ者は興国寺で授戒することになっている、いわば虚無僧の聖地です。

 味噌と醤油、日本の食文化のふるさと、虚無僧の聖地であるこの寺には、実はもうひとつ不思議な言い伝えがあるのです。
 羽柴秀吉の紀州攻め後に、火難にあったお堂を赤城山の天狗が一夜にして建立してくれたという、天狗伝説が残されているのです。
 境内の天狗堂には天狗の大面や数億年前の水を内包し、願いをこめてさすると叶うという不思議な「天狗命根石」もある知る人ぞ知る天狗の寺でもあるのです。

 この物語については、由良町が編纂した「由良町誌」の「由良町の民話」の項に「天狗の建てた寺」として次のように記載されています。これは江戸時代に刊行された説話集「新著聞集(しんちょもんじゅう)」にある「天狗一夜にて法灯寺をつくる」という物語を原典とするもののようです。

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 昔のこと、興国寺は度重なる火災で伽藍を焼失し、住職や村人たちは大層困っていたのでした。
 ある時、一人のみすぼらしい旅の僧がやってきて、こう言ったのです。
 「何回も何回も寺が火事で燃えてしまうのは、寺を開いた上人(しょうにん)の名前が「法燈」というからじゃ。「法」という字は水が去る、「燈」は火が登ると書くではないか。これではどうにもこうにも火事からは避けられまい。ところで、もしあなた方がお望みであれば、後の世まで残る立派な寺を建ててしんぜよう。わしは上州赤城山に住む杉の坊という天狗じゃ」

 半信半疑であったのですが、杉の坊が立ち去った数年後、藁にもすがる思いで、興国寺の住職は赤城山を訪ねて寺の再建を懇願しました。

 「よし、わかった。そのかわり約束の日には夕刻から寺方は里に下り、村人は火を消して家にこもられよ。決して外に出てはいけない。」
 杉の坊の言葉を聞いた住職は「必ず守りましょう」と固く誓ったのでした。

 さて、約束の日。
 当日の真夜中になると寺のあたりは急ににぎやかになり、木を切る音、金づちの音が闇を抜けてトントンカンカンと響いてきた。
 一体何が起こっているのやら。のぞきたい気持ちをぐっとおさえて村人たちは杉の坊との約束を守り、決して出ていくことはなかった。

 翌日、夜明けと共にお寺へ行ってみた人々は、腰を抜かさんばかりに驚いた。
 なんとも立派なお堂がいくつも並んで建っているではないか。
「これはたまげた。赤城山の天狗さんたちが建ててくれたに違いない。ありがたい、ありがたい」
 住職も村人も大喜びで赤城山の方向に向かってひれ伏したという。

(「紀州 ものがたりの里をゆく」より)

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