新選組ゆかりの地
浅川
日野は多摩川とその支流である浅川に挟まれ、川によって刻まれた侵食台地と川沿いの低地、そして高尾の山から三浦半島へと続く多摩丘陵と大きく3つの地形に分かます。
浅川は、流路の長さに比べて川床が高く傾斜が急なため、度々氾濫し流路を変えてきました。
日野市の新井橋を挟んで両岸に新井という地名がありますが、これは浅川の流路変更によって分断されたためです。かつての浅川は今よりももっと南を流れており、多摩川との合流地点も、もっと下流の関戸橋付近にあったことが知られています。
しかし、低地の稲作は「多摩の米蔵」ともいわれる石高を誇っていました。多摩川の水は洪水という試練も与えましたが、その清流は日野に潤いを与え続けてきたのです。
さて、石明神社の鳥居を入らず左手に進むと、浅川の堤防があります。この石明神社の近くは元・新井村で、上流にあたります。
土方歳三の生家は、石田散薬という薬を造って販売していました。
多摩時代の土方歳三は、でき上がった石田散薬を薬箱に入れて背負い、得意先に卸しに行っていました。その石田散薬の材料・牛革草は、浅川の水際に生えます。浅川は、土方歳三が石田散薬の材料・牛革草の刈り取りをした場所でもあります。
農作業が一段落する土用の丑の日に、村の人が総出で刈り取っていましたが、土方歳三は、この刈り取りの指揮をよく取っていたようです。
仕事の段取りが的確で、土方歳三が指揮をすると早く終わると評判だったと伝わっています。こんな河原で土方歳三が指揮を執って、採集をしたのかと想像するのもいいですね。
ただ、現代の造成が進んだ川岸では流れが変わり、元・石田村あたりでは牛革草はあまり採れなくなってしまいました。
川は少し上流の辺りでこちらに向かって大きく弧を描いている。かつてとは川筋も多少変わっているのかもしれないが、この一帯がよく洪水に見舞われたところなのでしょう。
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