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日野の新選組豆知識



石田散薬

 石田散薬は、土方歳三生家が代々、宝永年間から伝える骨接ぎ、打ち身の妙薬です。
 石田散薬の原料は、浅川の河原に自生する朝顔に似た葉にトゲのある草で、この草を土用の丑の日に刈り取り乾燥した後、黒焼きにし薬研で摩り下ろし散薬にするもので、この作業を一日で終える事が必要で、一日で終えないと効果が無いと伝えられていた様です。
 このため、この日は村中総動員して草を刈る者、運ぶ者、干す者、黒焼きにする者、薬研で摩り下ろす者、袋に入れる者等作業別に人を区分し、組織化して効率良く動かして行く、その総指揮を、歳三は13~14歳頃からやらされていたと云われています。采配は見事だったといいます。
 「燃えよ剣」の作者、司馬遼太郎氏は、土方歳三が新撰組を組織運営した能力は、この石田散薬の薬造りにより培われたのではないかと指摘されています。

 服用の際には必ず酒で飲むといいます。
 これと同じ原料と製法の「虚労散」は、佐藤彦五郎家家伝のものですが、これは白湯で服用します。
 両薬とも新選組の常備薬でした。「虚労散」は肺病の薬です。

 その薬を売り歩いたのも土方歳三でしたが、成績はあまり芳しくありませんでした。組織運営の能力は高かったものの営業センスはあまりなかったのかも知れませんね。
 販売先は、武州・相州20里四方に及び、甲州にまで渡るといわれています。
 この石田散薬は打ち身やくじき、筋つれ、切り傷などへの効能がうたわれていましたが、明治になり薬事法が制定され、その成分を分析したところ、傷や痛みに効く成分は皆無であったと云われています。



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御用改めである
日野の新選組訪ね歩き

日野は新選組副長の土方歳三や六番隊隊長の井上源三郎の出身地であり、子孫の方々が開館する資料館や数多くの史跡が残っています。これらを訪ね歩き新選組の波乱の歴史に思いを馳せます。

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