じっくり甲府を楽しむ大人には見逃せない観光スポット
清運寺
応長元年(1221)に秋山与一郎隆晴が屋敷にお堂を建てたことに始まり、その後、隆晴の末孫秋山孫四郎が出家得度し、明応9(1500)年4月28日に清運寺を創立しました。
清正公堂に所願成就の神、清正公(加藤清正公)像が祀られていて、毎年7月には縁日が開かれ「せいしょこさん」の寺として親しまれています。清正公吉祥加持祈祷会とその後に行われる縁日のお祭りを清正公祭りと呼びます。縁日は、境内で行われる家庭的なもので、かき氷や焼きそば、ヨーヨー釣りなどの屋台が出て近所の方たちが集まります。
また、清正公堂には商売繁盛を願うお産稲荷、願かけ石のおなで石も祀られています。
しかし、どこにでもありそうなこじんまりとしたお寺なのに縁日に限らず、ひっきりなしに人がやってくる理由のひとつは、清運寺が坂本龍馬ゆかりのお寺でもあるからです。ゆかりとは、坂本龍馬の許嫁とされ、生涯独身を貫いた千葉佐那の墓があるからです。
こじんまりとしたお墓ではありますが、坂本龍馬ファンなら一度は訪れてみたい場所ではないでしょうか。
千葉佐那は、江戸に剣術修行に訪れた龍馬が学ぶ千葉道場の当主定吉の娘で、「千葉の鬼小町」と呼ばれながら、しだいに龍馬に心をひかれる。その後の佐那は、明治に入ると学習院女子部の舎監を務め、のちに家伝の鍼灸院を開いて、1896年に亡くなっていた。
東京・谷中の墓地に埋葬されたが、独身ゆえ無縁仏になりそうになった。そこで、佐那の鍼灸院の患者だった甲府の自由民権運動家、小田切鎌明の妻、豊次が菩提寺だった清運寺に分骨し、墓を建てたという。
墓石は台座を含めて高さ約100cm、幅約40cmで墓碑には表に「千葉さな子墓」、裏面には明治廿九年十月十五日逝 坂本龍馬室、左横面に小田切豊次建立と刻まれています。
豊次が佐那から「私は龍馬の許嫁でした」と聞かされていたためと言われています。
また、生前の太宰治は、このお寺のあたりを散歩していたようで、太宰治が歩いたといわれる石畳が残っています。
観光地ではなく、お墓ですのでくれぐれもお静かにお参りください。
千葉佐那についてもっと詳しく知りたい方
詳細情報 | |
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名称 | 清運寺 |
住所 | 甲府市朝日5-2-11 |
アクセス | JR中央線甲府駅北口より徒歩13分 甲府駅からバス5分・朝日5丁目下車、徒歩2分 中央自動車道・甲府昭和インターより約20分 |