八王子城を歩く
八王子城ハイキングの心構え
八王子城は、公園として整備されていますが、街中にある公園と思ってくると大変です。
八王子城は、何といっても標高460mの関東屈指の大規模な山城です。
しかも、築城技術が高かった北条家が普請した防御能力の高い城ですので、山頂まで目指す(攻略するつもり)ならば、それなりの装備と覚悟が必要です。
基本的に「軽登山」「低山ハイキング」の用意をしてお越しください。
靴は、ハイキング用・登山用のものがおすすめです。絶対に革靴やハイヒールなんて無茶は止めてください。
天気が悪くなりそうなときは雨具の準備も必要です。山中には雨宿りできそうな休憩所はありません。
また、水分補給もお忘れなく。山中には自動販売機なんてありませんから、飲み物は持参してください。
なお、売店なんておしゃれなサービスはありませんので、お弁当は持参ください。山頂付近にはテーブル・ベンチもありますので天気がよければお弁当広げて景色も楽しめます。
八王子城へ歩く
八王子城は八王子市街地の西方の広大な山地にあります。
既にこのサイトでもご紹介している通り、戦国の終わり、16世紀の後半 に作られ天正18(1590)年6月23日に豊臣秀吉の軍勢に攻められわずか1日で落城したと言われます。
その結果小田原の北条氏は降伏し、秀吉の天下統一が実現 します。
戦国時代の城は自然の地形を利用した山城と呼ばれるものが一般的で、その城の構造をあれこれと思いながら散策するのもまたおもしろいものです。
JR高尾駅からはバスの便が、休日のみの運行となったため、高尾駅からハイキングがてら歩いていってはいかがでしょうか。
高尾駅北口から直進し南浅川の橋を渡りカーブの坂を登ると廿里(とどり)の古戦場跡があります。武田信玄の軍と北条氏の戦いの跡ですが、今はわずかに小さな案内板があるだけで当時の姿を想像しようもありません。
この案内板には以下のような説明があります。
「永禄十二年(一五六九)、武田信玄は小田原城の北条氏康を攻めるために甲州を出発し、碓氷峠を越えて北関東の北条氏の諸城を次々と攻撃し、滝山城攻撃のため拝島に陣した。一方、信玄の武将甲州岩殿城主小山田信茂は、甲州から小仏峠を越えて攻め込んだ。滝山城主北条氏照の家臣、横地監物・中山勘解由・布施出羽守らは、十月一日にこの付近で迎え撃ったが、一戦にしてもろくも敗れ去った。
この戦いの後、滝山城は三の丸まで攻め込まれ、落城の危機に瀕したが、信玄は途中で小田原城に向かい、落城はまぬがれた。この年の戦いで、氏照は滝山城の弱点と甲州口の重要性を感じ、小仏峠に近い八王子城の築城を計画したと言われている。
平成十七年三月三十一日 八王子市教育委員会」
つまり、これから向かおうとする八王子城の築城のきっかけとなった重要な戦いの跡だということですね。
さてここからしばらくは右手に武蔵野御陵、左手に森林科学園も見ながら道なりに進んでいくことになります。
城山大橋前から左折、「八王子城跡入口」の交差点を、左折して、あとはひたすらまっすぐ進みます。道なりにしばらく進むと八王子城主北条氏照の菩提寺であった宗関寺があります。
天正十八年(1590年)八王子城と共に焼失しましたが天正十九年(1591年)に第四世豁州達翁大和尚により再建され、十石の寺領を賜いました。現在の場所は八王子城家老横地監物の屋敷跡であり、明治時代にここへと移りました。
寺の反対側道路左側には「横地堤」と呼ばれる城の家臣 の居住区の土塁が残されています。これは、八王子城城代、横地監物与三郎吉信が、城防衛地として築いたものです。
この先には氏照の墓があります。氏照の墓という小さな案内板をたよりに右手の小道 に入ると古い石塔が並ぶ小さな墓があります。
真ん中の大きな墓石が、北条氏照の墓ですが、この墓は八王子城が落城した約100年後の江戸時代に造られたものです。
左右は北条氏照の家臣・中山家範と、その孫である中山信治の墓です。背後に石塔群がありますが、北条氏照の家臣団の墓とされています。
実はこの奥には観音寺跡があり、向かって右下の谷が旧宗閑寺跡です。竹林の中に ひっそりとたたずんでいます。
いよいよ八王子城
もとの通りに戻り、ここからものの5分ほど歩くと2012年にオープンした「八王子城ガイダンス施設」(入館無料)があり、ここが広場になっています。ここが八王子城跡の入り口です。外観は「八王子」の「八」をイメージした八角形をしているのが特徴です。整備された駐車場もあります。
時間があれば、先に「八王子城ガイダンス施設」に寄って、八王子城の詳細なパンフレットや日本名城100のスタンプもいただきましょう。
このように八王子城の概要を理解してから登ると山を更に楽しめます。「八王子城野外模型」も展示されているので、その模型を見てから、八王子城に登ると地形や道を把握しやすいかもしれません。トイレも完備されていますのでここで済ませておきましょう。
ここから数分で「管理棟」が見えてきます。管理棟にはボランティアガイドも常駐しているので、案内をお願いすれば知識が深まり散策も楽しくなるでしょう。なお、管理棟でのパンフレット配布やトイレ・駐車場のご利用時間は午前8時30分から午後5時までです。また、トイレ・駐車場は年末年始(12月28日から1月3日)のご利用ができませんので注意しましょう。
復元史跡のある御主殿跡に行くにはこの「管理棟」を左手に歩いて10分程度の古道コース。八王子城の本丸跡に行くにはこの「管理棟」を右手に進み歩いて40分程度の新道コースとなります。
古道(旧道)コースから
それでは、まず、古道コースから。
この広場から先に進むと左に橋がありそれを渡り進んでいく道が、今回整備された「古道」です。なお、「古道」は八王子城跡特有の表現で大手道と同じ意味です。
この古道から御主殿(城主の居住区)跡やわざと高さや幅を広くして敵が入りにくくした虎口(城の出入口)、また敵 が攻めてきたらいつでも落とせるように工夫された曳き橋が興味深くご覧になれるでしょう。
このあたりは重点的に発掘調査が行われた場所で、その後、このように橋や石垣が復元されています。
城山川に架かる木製の曳橋は、もちろん想定復元だが、実際に橋台だった石が一部使われているとのこと。
なお御主殿跡は一度発掘調査が行われたあとまた土が盛られ今は更地になっ ています。
アシダ曲輪から御主殿にかけてはいわゆる山麓居館跡で、よく整備されていて、ここならば登山靴でなくても見学できます。
八王子市教育委員会の説明柱によれば、「「アシダ曲輪」とは、「慶安古図」に「アシダ蔵」とかかれています。二-三段の曲輪群からなり、館や倉庫があったと考えられています。落城時、近藤出羽守が守っていたといわれています。」とあります。
虎口を経て冠木門(かぶきもん)をくぐると氏照の館があった御主殿跡へ到着。御主殿付近の石垣は発掘後の復原ですが、関東の城には珍しい総石垣のつくりで、西国、織豊系城郭の影響を多分に受けているようです。
復元された石垣も戦国時代と同じ野面積(のづら)という工法によって積み上げられたものです。
曳橋の下の見学道あたりからじっくりとこの石垣を見上げて下さい。石にナンバーを振っているのが見てとれるでしょう。これは、発掘して出てきた遺物である石をもとに出来るだけ忠実に復元した証でもあるのです。
ご主殿跡は、広々とした場所で、シートを広げて楽しむ家族連れも見かけますが、ここは発掘調査によって明らかになった建物の礎石や水路の跡などを再現した場所です。
また、茶器や生活道具などの遺物も多数発掘されています。
なお、本丸のある山頂へは御主殿跡の奥の“殿の道”と命名されたルートもあるのですが、この道は迷いやすいし、危険な個所もあるため、基本的にボランティアガイドの案内がないと通行不可となってますのでご注意ください。
なかには本丸からご主殿跡へ下山時に、道からそれて石垣の上を歩いていく人も少なくなく、さらなる崩落も目立つそうです。
実は、この道は1987年には御主殿への登城口などが調査され、それまでただ単に森林の中の谷だった部分から、古図に描かれていたとおり御主殿に直結した石段と2ケ所の踊り場が発掘され虎口の全容が解明されたのでした。
そんなわけで、一般の方々はいったん管理棟まで戻り、尾根に延びる金子曲輪を登って頂を目指すという「新道コース」を使ってください。
さて、御主殿跡から城山側に降りると御主殿の滝が見られます。
これは八王子城落城の際に 城の婦女子がここから身を投げて死んでいたといわれています。
かつての水量はあり ませんがいまでもこの滝を覗くと数百年の時を超えてもの悲しさが伝わってくるような寂しげな滝です。
なお戻りは城山川沿いの林道を下るか、きた道をかえって「管理棟」に戻ります。
戻ってきたあなたは、せっかくですからもう一度八王子城全体を散策して「山頂」を目指しましょう。
管理棟広場から右手の橋を渡り鳥居をくぐると新道、旧道の分かれ道になります。
新道コースから山頂を目指す
今度は、新道コースを歩いて山頂までいってみましょう。ちなみに、新道というのは、明治になって木曾御嶽講が流行り、東京の人がお詣りをする場所として要害地区の小宮曲輪を活用した際に登りやすくするために作られた言わば参道のようなもののようです。その分、古道(旧道)に比べて歩きやすいわけです。なお、新道は、8号目にあたる柵門跡で古道(旧道)と合流することになります。
歩きやすいとはいえ、片道約40分の登山道はなかなか足にこたえますが、山頂近くで一気に広がる展望を期待すれば疲れも吹き飛ぶはずです。
ここからは自然が豊富な山登りになりますが、この道は、八王子城攻めの総大将であった前田利家隊が攻め登った大手口の道になります。
他の武将、上杉景勝は居館地区から上の二の丸へ、真田昌幸・幸村父子は御主殿の横から上の山王台へ、また直江兼続は城の裏側(搦手)からいずれも尾根伝いに攻め登ったといわれます。
左手には梅林(ここは弾薬庫跡と見られている)、裏高尾を眺め ながら金子丸、棚門跡と山城のなごりを楽しみながらあるくと旧道と合流し急に坂道が険しくなっていきます。
そのうち右に馬車道を見られるようになると平坦な道に戻り、中の丸(中の曲輪)にあるのが八王子神社です。
ここは牛頭天王と八人の王子(八王子)を祀った神社で、城の築城にあたり氏照が守護神としてここに移設したものです。
城の名前や八王子の地名はこの神社名に由来しています。
八王子神社の裏手の丘が本丸跡です。
神社右手に見える階段を上ってゆきましょう。
本丸跡は狭いですが広場になっており石碑が立っています。
このように意外なほど狭い本丸には建物は無かったとされています。
神社左手には二の丸、山の東が現れ八王子市街地が一望できます。
昼食は本丸跡近くの、八王子の眺望が楽しめる松木曲輪で楽しみましょう。天気のいい日は関東平野が一望でき新宿の 超高層ビル群や遠く筑波山も臨めます。
戦国の武将達はこうやって自分の領地を眺めていたのでしょうか。
その昔ここで狼煙をあげ遠く小田原の北条氏へ情報を伝えてい たとのこと。
ここが八王子城であることを示す2基の石塔が立つこの広場は休憩所が 作れられベンチもあるので弁当を広げるのには格好の場所でしょう。
すぐ下にはトイ レもあり、八王子城の武士達も使っていた古井戸が今もありました
この地点の標高は約420メートルというのに井戸に水を今もたたえているわけですか ら地下水位が高いのに驚かされます。
ところが、ちょうどこの真下を「圏央道」が通っており、近年、この井戸への影響がでてきたようです。 数百年のときを超えて枯らすことなくこんこんと湧
き出てきた自然の恩恵を人間の暴挙で壊してしまうのは何とも愚かとしか言い得ません。
初日の出を眺めるスポットは高尾山が有名ですが、実は地元の人たちは、混雑する高尾山を避けてこの山頂から拝んだりします。荘厳な雰囲気で静かに眺めることができ
隠れた穴場です。もっとも高尾山と違い照明設備などありませんので、懐中電灯持参 またできればこの山を知った人と上るほうが無難ですね。
山頂で休んだら、今きた道を戻り(旧道を選んでもよいかもしれません)八王子城跡ガイダンス施設まで引き返せば、土日と祭日は高尾駅までバスがあります(1時間に1本程度)。平日でも少し歩いて都道まで戻れば、「霊園前バス停」からは高尾駅行きのバス便が多数ありますので問題ありません。もちろん足に自信があれば、高尾駅まで今日来た道を戻ればよいでしょう。
しかし、もし時間に余裕があるのであれば富士見台を経由して裏高尾へ降りる道をお勧めします。
富士見台から裏高尾に抜ける
井戸の先の細い道を下りしばらく歩くと馬冷やし場の案内板があります。
尾根の左手に石垣の列が続いていくが急坂を登りきるとそこが「詰の城」なのですが、大天守と呼ばれていたようです。
実際、八王子城本丸よりも、詰の城の方が標高は高くなっています。
もっとも大天主跡といっても江戸城に代表されるようなあんな大きなものではなく非常に狭く当時の山城の造りを想像できます。そのすぐ下は石切り場の跡です。
詰の城からさらに奥へ進み、富士見台へ。
ここからジグザグの道を登っていくと尾根道となります。富士見台の山頂はすぐそこです。
富士見台の標高は558m で、詰めの城よりさらに高くなっており、まだまだ登り道が続きます。
富士見台というからには、富士山を拝まなければいけません。
木々に邪魔されていますが、富士山のビューポイントは、富士見台の分岐表示板から少し南に行ったところにあります。
富士山を見て一服すると富士見台からは、尾根を南東に向かえば、裏高尾の荒井バス停または駒木野バス停(小仏関所跡付近)に下りてくることができます。
ただし、晩秋や初冬にはあまりゆっくりしていると日が暮れてしまいますので注意が必要です。
急な下りの坂道が続きますので、気を付けてゆっくり歩いていきましょう。途中にはロープを頼る急な坂もありますのでご注意ください。
次の道しるべでは、駒木野バス停 高尾駅方面へ進みます。
すると程なく車の騒音が激しくなってきます。中央自動車道です。
この左手の谷は圏 央道と中央道のジャンクションです。
雑木林の中には「高尾自然体 験学習林の会」の札がくくりつけれています。
1本1本の木に所有者を記した札が吊 り下げられていますが、これは1992年より続いている圏央道反対のための立木ト ラストの認識票です。
全国各地から集まった「高尾山を守ろう」の声の札には驚かさ れてしまいます。
やがて中央自動車道に向かい急な階段を下っていくとトンネルがある。
ここをでると工場があるがここを抜け中央線をわたると旧甲州街道です。
蛇滝口のバス停はすぐそこだが、ここには水飲み場がある。
そのおいしさにハイカー達が喉を潤したり水筒に詰めて持ち帰る人もいるとか。
コップが備え付けられていて地元の方の心使いをうれしい。
裏高尾の鄙びた風景をゆっくり堪能してもらいたいと思います。
JR・京王高尾駅(40分)八幡神社(30分)宋閑寺(10分)北条氏照墓所
(15分)八王子城跡バス停(60分)八王子神社(30分)詰めの城(20分)
富士見台(60分)蛇滝口バス停(バス15分)JR・京王高尾駅