甲府五山
能成寺
定林山能成護国禅寺(能成寺)は、臨済宗妙心寺派に属する武田家甲府五山の1つであり、甲斐百八霊場第57番目札所となっています。
ご本尊は創建時、三尊阿弥陀如来(安阿弥作)でしたが、現在は釈迦牟尼仏です。また、富士山大息合結縁地蔵尊を奉安しています。
能成寺は、信玄公の父・信虎の曽祖父である武田信守の菩提寺です。武田信守供養塔がある格式の高いお寺です。小高い丘の中腹にあり、狭い境内に残っている伽藍は、江戸時代末(嘉永4年)の火災や甲府空襲で失なわれてしまいましたが、昭和61年に本堂を再建しました。そして石垣。それにしても門前に茶店がなければ通り過ぎそうな小さな寺院です。
能成寺は、貞和年間(1345-1350)に、中国・天目山で修行を積んだ業海本浄(ごっかいほんじょう)禅師が、天目山に似ている場所として大和村木賊に栖雲庵を結び悟後の修行を続けている折、時の国主であった武田信守公に呼び出され舘(現在の八代町北)に開山したのがはじまりです。
その後、信玄公の時、府中西青沼に移され、さらに文禄年間の甲府城築城の折現在地に遷され、甲府五山の一つに加えられました。
なお、八代町の旧跡には建武・貞和等の年号が刻まれた五輪塔や宝筐印塔などが現存しています。
それにしても、それほど小さな寺ではありますが、境内には様々な歴史を感じる見どころも多く、興味深い寺です。
かつて境内には「宿竜池」の石碑があり、池には島があって竺英和尚の手植とされる大きな松がそびえていました。「宿龍池」を偲び建てられた碑には、昔この周辺には龍が棲んでいて、その龍が暴れて洪水を起こしていたことから、それをお経で封じ込めたという伝説があります。
また、本堂には「富士山大息合結縁地蔵尊」が奉られています。この地蔵尊は、もともと富士山の8合目の大息合に傷んで設置されていたそうですが、ある日僧侶の夢枕に立ち「直してほしい」と懇願したといいます。能成寺に運ばれ修復し供養の後、返そうとするとまた僧侶の夢枕に立って「ここが気に入った。この場所から皆を救いたい」と言ったことから、富士山には戻さず、ここから皆を見守っているとのことです。
参道には芭蕉翁の「名月や池をめぐりて夜もすがら」の句碑や本堂北の岩山には能成寺之碑、弁財天碑など多くの名碑があります。
本堂へ向かう手前に虎嘯(こしょう)石と呼ばれる大きな石があります。この虎嘯石は、実はちょうど富士山の形のように三角形に置かれていたのです。ところがある日、駿河の国から来た旅人が「これは駿河にこそあるべき石なり」と訴えたので、時の住職がそれならばと蹴とばし逆さにしたことから、虎のように見えるようになったので虎嘯(虎がうなれば風が生ずる)と呼ばれ始めたといいます。
また、墓地には赤穂藩の家老大野九郎兵衛(赤穂浪士)の墓地と伝えられるものがあります。仇討ちを終え切腹した赤穂浪士でしたが、大野九郎兵衛は、別で金庫番をしており、後世に武士道を伝えるため生き残り、余生を甲斐の国で過ごしました。
また、勤皇学者の吉川新助の墓所があり各地から歴史ファンが訪れています。
詳細情報 | |
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名称 | 能成寺 |
住所 | 〒400-0808 山梨県甲府市東光寺町2153 |
アクセス | JR身延線金手駅から徒歩10分/甲府駅南口からバス10分・市立図書館入口下車、徒歩10分 |