裂石山雲峰寺(松姫 武田の隠れ寺に身を寄せる)

松姫ゆかりの地を訪ねて


裂石山雲峰寺(松姫 武田の隠れ寺に身を寄せる)

 大菩薩峠の登山口へのほど近くにある裂石山雲峰寺は山梨県甲州市塩山上萩原に境内を構えている臨済宗妙心寺派の寺院。

雲峰寺と松姫 寺伝によれば、雲峰寺の創建は天平17年(745)、行基菩薩(奈良時代の高僧)が当地で荒行をしていたところ、辺りが急に暗くなり雷鳴が轟くと、その雷により高さ15m余の大岩が2つに割れ、するとそこから萩の大樹が空高く聳え十一面観音が出現した。

 行基はその姿を写し取り萩の木に十一面観音像を彫刻すると一庵を設けて像を安置したことが雲峰寺の始まりとされる。

 当初は天台宗の寺院だったが、中世に入り恵林寺住職の絶海中津が再興した際に臨済宗に改宗し恵林寺末寺になったと雲峰寺と松姫推測されている。

 甲斐源氏の武運長久の祈願寺として歴代領主の帰依が厚く、武田氏から深く崇敬されていた。
 甲斐守護職の武田家の居城躑躅ヶ崎館(府中)から観ると北東方向に位置する為、鬼門鎮守の祈願所として篤く庇護された。

 伽藍は室町末期天文年間(1532~1554)に火災にかかり、諸堂焼失したが、武田信虎により再建されが進められ、永禄元年(1558)には武田信玄が武運長久の祈願を行った前後に再建された堂宇が竣工したと思われます。すべて重要文化財である。
雲峰寺と松姫
 天文10年(1582)、織田信長の甲斐侵攻により武田勝頼は当地に逃れ天目山麓の合戦で敗れ自刃、武田家が滅亡すると、家臣が再興を期して家宝である御旗(日本最古の日章旗・諏訪法制の旗・孫子の旗:武田家の軍旗「「疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山」・馬標旗・それぞれ山梨県指定文化財)を雲峰寺に運び納めたと伝えられており、寺宝として保存されている。

 さて、逃避行を続ける松姫一行でしたが、幸い、初鹿野・勝沼・石和方面とは方向違いの山中へ向かっているので敵兵の姿もなく、油断怠らないうちにも安堵する思いで裂石に到着した。雲峰寺と松姫
 
 ここには武蔵からの侵入を食い止める拠点でもあり、武田信玄庇護の雲峰寺がある。

 今から山に登るには途中で日が暮れるし、幼子を抱えて疲れている一行は一夜の宿を頼んだという。

 快く受け入れた雲峰寺に入った松姫一行は、雲峰寺の武者隠し部屋の中に武田家ゆかりの大切な品々が仕舞ってあることに驚いたのではないか。
雲峰寺と松姫
 実は勝頼一行が田野において討死する折、自刃を決意した勝頼は主人と生死を共にしたいと願う家臣に武田家重代の宝である品々を、雲峰寺に隠し、敵の手に渡さないように頼んでおいたという。
 つまり、雲峰寺が深い山中で武田一族しか知らない隠れ寺だったのだ。
 
【交通】
 塩山駅から大菩薩
 登山口行きバス、約30分、終点で下車。徒歩五分。
【住所】
 〒404-0022 甲州市塩山上萩原2678